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2014年9月30日

高遠そば-3-1 荻野鐵人

3. 会津落城

そば屋のお爺さんの話は留まるところを知らない。ただでそばを食べようと思ったばかりに会津の歴史を聞くはめになった。
「君たちのなかには薩摩、長州、土佐、肥前の人はいないだろうね」
お爺さんの目が心なしか、けわしい。僕たちは、こわごわ首を振る。山田は首をすくめて、だんだん耳も赤くなってきている。彼は山口県の出身なのだ。
「君は?」と、山田の方をお爺さんが向いた。
「ぼ、僕は東京です」
「いや、のどがかわいているならサイダーを持ってきてやろうかと思ってな」
僕はホッとした。
「君たち、終戦記念日は知っているよな?」
「8月15日、僕の誕生日です」
「ほう、そうかい、いい日に生れているな。いつまでも平和が続くといいね。でも私たち会津人にとっては、8月15日よりも8月23日のほうが重大で、この日は会津戊辰戦争の記念日なのだ……」
またお爺さんの長い独白が始まった。以下はそれをまとめたものだ。

この日とは慶応4年(1868・陰暦9月8日から明治元年)8月23日で、白虎隊自刃、婦女子自決、鶴ケ城篭城戦開始など武士ばかりでなく一般庶民の犠牲者が最も多かった日、会津戊辰戦争の「ザ・ロンゲスト・デー」である。若松城下に襲いかかった薩長土肥の西軍は土佐兵を先頭に城下の各町に殺到し、銃砲玉が激しく飛んだ。抵抗する会津兵はもとより、武士、町人、百姓、老若男女の別なく町の中にいた者は見境なく斬られ、射ち殺され、或いは砲弾の破片に当たって死んだ。戊辰戦争はまるで侵略戦争のような様相を呈した。
1992年の8月23日には娘子(じょうし)軍隊長中野竹子のなぎなたを持った凛々しくも可憐な像が完成したのでその除幕式があった。中野竹子は敵の大軍が若松城下に侵攻した時、なぎなたを抱えた娘子軍を率い、荒れ狂う鬼のような敵軍と激しい戦闘を繰り広げたが武運つたなく銃弾に当たって倒れた22歳の乙女だ。
戦没者(特に、殉難者という)を祀る会津若松の寺や飯盛山の白虎隊の墓前では、命日に慰霊祭が行われるばかりでなく、春の桜花の散る頃の4月23、4日にも行われる。桜の花びらが舞う下で、会津高校剣舞部19人の少年が演ずる白虎隊剣舞を見て会津人は涙を流す。
戊辰戦争の終戦記念日は9月22日から3日間で、当時は陰暦だったから陽暦8月23日の1ヵ月後との考えも含めて毎秋盛大に挙行される。



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