2014年10月1日
akira's view 入山映ブログ 国民医療費
これまでにも3月13日から4月6日まで、8度にわたって予算主義・予算制度に関わる問題点、あるいは見るに耐えない現状について指摘した。前例尊重主義、単年度主義などがその主な論点であったことはご理解いただいていると思う。特に前例尊重主義というのは、官僚制度そのものに内在している論理であり、要は、昨日はよかった、から始まって、今日は昨日の通りがよい、明日も今日の通りにしよう、というメンタリティを指す。もちろんそれが発生、瀰漫したについては無理からぬ事情があるのもまた当然で、昨日の現実を一度肯定して、そこに今日の新たな情勢を反映する、という手法でなくては、とてもやっていられない側面があるのもまた事実ではある。
特にクニの予算配分にあたっては、唐招提寺の修復から宇宙開発、自衛隊の新装備から老人介護、さらにはクリーン・エネルギーの開発から公教育予算まで、およそ森羅万象にわたるオカネの使い道をいちいち新規蒔き直しでゼロ査定から始まって積み上げていたのでは、いかにIT時代といえどもとてもやってはいられまい。ある程度前年度実績をふまえて、新規要素を加味するというやり方は必要のなせる業だというのは理解できないではない。毎年の各省庁の予算査定が数パーセントの増減を巡ってのつばぜり合いになる、というのはこの間の事情によるというのもおおざっぱにいえば、こうした理由によるものだ。
しかし、何年かに一度、あるいは何十年かに一度、一種コペルニクス的転回をはからなければならないこともまた事実で、それが出来ないから諫早(6.29)や伏魔殿(7.7)のようなことが起こるし、四国に三本も橋が架かったり、ろくに使われもしない空港を1千億近いオカネをかけて作り続ける、という事態が発生する。最近話題になっている後期高齢者制度(6.16)あるいは国民医療制度一般の問題は、まさにその典型事例を提供する。少子高齢化時代に、老人医療費が増大するのは当然である。そして、それを従来の枠組みの中ですべてをこなしてゆこう、というのには無理があることも少し考えてみれば解ることだ。しかし、それをどう解決するかにあたって、官僚の一片の作文によるつじつま合わせ、それもおそろしく近視眼的な施策によって乗り切ろうとしたところに問題の根源がある。
国民医療費は33兆円余り(17年)、うち老人保険給付は三分の一足らずである。ちなみに70歳以上、75歳以上の医療費単価はそれぞれ74万2千円、81万9千円と、国民総平均25万9千円を大きく上回っている。乱診乱療もあるだろうし、節減努力も望まれることはいうまでもない。しかし、それを超えたグランド・デザインが必要なことに目をつぶって、病床数カットと、3ヶ月以上の入院費用の大削減、さらには包括医療と称する医療給付の頭打ちで乗り切ろうとするところが官僚主義の官僚主義たる所以だ。血が通っているとか姨捨山といった議論ではない。所用の医療水準と、それを維持するための費用を全く明らかにしないまま、一割カットだ、2割削減だでつじつまを合わせようとする手法が官僚主義・予算主義の典型だといいたい。
仮に所用の費用が10兆円増加したとしよう。これから10年かけて60兆円使おうとしている途路建設とどちらがプライオリティが高いのか。そんな問いかけをしてみなくてはならない時期に来ているのではないか、というのが問題提起だ。かつて日本共産党の大門議員は「道路建設の二十分の一をまわせば、社会保障費の年増2千2百億にあてられる」と主張した(2008.5.9)。福田首相(当時)は「比較できるんですか」とにべもなかったが、比較してみるときにきているのではないか。少なくとも、「大企業や金持ち優遇の税制をやめて低所得層の減税にまわすべきだ」といった主張に比べれば、遥かに検討に値する。人を以て言を廃してはいけない。
2008年 09月 29日