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2014年10月3日

高遠そば-3-4 荻野鐵人

政府からの差別はそれで終わった訳ではなく、明治から大正にかけて数々続く。若松県と福島県が合併した明治9年、他県ならば最も人口の多い城下町の会津若松市に県庁が置かれてもよいのに、県の中央でもない福島に置かれ、若松県内にあった東蒲原郡(会津領小川庄)は引き裂かれて新潟県に入れられた。明治19年のことである。
大正期の政府も会津に冷たかった。会津戦争の戦死者の慰霊祭祀のみを目的とする財団会津弔霊義会を設立しようとしたとき、叛乱につながりかねないと懸念された為だろうか、内務省認可に数年を要した。大正6年(1917)の会津戊辰戦争東西両軍戦没者合同慰霊祭を執行するときに漸く認可にこぎつけた。また、大正8年には政府は数多くの旧制の国立高等学校や専門学校を全国の諸都市に新設し、特に旧制高校は明治期に鹿児島の第七高校の名を造士館としたように、大藩の城下町に設けて旧藩校の文教の遺風を受け継がせる方針をたてたのだが、かつて藩校日新館のあった会津には提案もされなかった。そのためか、現在でも会津若松には国立大学も私大もなく、漸く県立で4年制の会津大学が1993年に開学されることになった。会津若松市民は百年の悲願達成と喜んでいる。
昭和42年の百年祭の頃、山口市(長州側)の青年会議所から「すでに戦後百年の歳月が経過した。お互いに古い感情を洗い流して姉妹都市になろうじゃないですか」という提案があった。それに対して当時の会津青年会議所は「まだその時期ではありません」と断りの返信をした。さらに20年経った昭和62年、萩市から会津若松市に姉妹都市締結をしましょうと再び使者がやってきた時にも、当時の会津若松の市長が「仲良くするのはいいことだ」と軽く承諾しようとした時、多くの市民団体が反対や時期尚早を唱えた。そのためか同じ年にあった市長選挙で前市長を破って当選した新市長は、その後の萩市長からの再申入れを丁重に断った。理由は右手で斗南藩(会津藩士)の子孫である青森県むつ市と既に姉妹都市締結を正式にしているのに、左手で萩市と簡単に握手することは出来まいというのである。



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