2014年10月9日
高遠そば-3-9 荻野鐵人
五郎はその日、面川沢の別荘に一泊して8月22日下男の留吉の子と遊んでいると若松から帰ってきた留吉が、「敵軍が城下に迫って危険だから明朝留吉と共に帰宅するよう母上様が仰せです」と告げた。午前6時、前日に拾い集めた松茸などの篭をさげ出発したが、北へ行く者は五郎と留吉だけで、すれちがう人々は「引返せ、引返されよ」と口々にいった。若松あたりを望むと天守閣・角(すみ)櫓(くら)など黒煙におおわれて見えず城下の空には黒雲がうずまき、各所に紅蓮(ぐれん)の焔が上っていた。五郎は、なんとしても母の許へ行こうと難民の列を避けてたんぼの中に入り水しぶきをあげて走った。
やがて北御山の北端で中野に通ずる分れ路に辿り着き前方を望むと、黒煙の間に僅かに天守閣と櫓の白壁が見えるだけで、わが家と覚しき辺りは一面火の海であった。これ以上は進めないと悟った五郎は分れ路の石標にすがって、「母上、母上 !」と叫びつづけ、地面をたたき草をむしって口惜し涙にくれた。
あるいはすでに母たちは別荘に来ているかもと期待し急ぎ戻ったが、百人を越す避難民でごったがえしていただけだった。その日の夕方、叔父の柴清助が到着した。五郎はさっそく家人の様子を尋ねたが、「のちほど…」とだけ言って奥へ入った。奥の部屋で他の人を退出させてから五郎を招き入れ、身じまいを正してから「今朝、敵が城下に侵入したが、そちの母をはじめ家人一同は退去を承知せず、いさぎよく自刃した。わしは、乞われたので介錯し、家に火を放って参った。母は臨終にさいして御身の保護養育をわしに委嘱して逝ったぞ。いさぎよくあきらめよ」
五郎は呆然自失、めまいがして倒れた。