2014年10月10日
高遠そば-3-10 荻野鐵人
土佐藩の先鋒だった中島信行(のちの初代衆議院議長)らは、会津兵を追って若松城下に突っ込み、銃火をさけるために柴家の数軒先、西郷頼母の邸に飛び込んだ。そこで彼らは目を蔽う凄惨な光景を見た。頼母の姑律子(りつこ)、妻千重子(ちえこ)、妹眉(み)寿子(すこ)、同由布(ゆふ)子(こ)、長女細(さ)衣(い)子、次女瀑布(たき)子、三女田(た)鶴(づ)子、四女常盤(とわ)子、そしてまだ2歳にしかならない五女季(すえ)子をも含む総員21名が白装束を赤く染めて打ち伏していた。長女細衣子は中島が飛び込んだ時、一人死にきれず頭をもたげて「味方ですか、敵ですか」と聞いてきた。「味方だ」と答えると少女は手さぐりで懐剣を取りだし介錯を願った。そのいじらしさに胸を打たれた中島は一思いに少女の首を斬り落した。細衣子は妹瀑布子と共に一首のこしている。
手を取りて 共に行きなば 迷はじよ(瀑布子)
いざ辿(たど)らまし 死出の山路(やまみち)(細衣子)
ようやく山荘に辿り着いた柴四朗は、祖母・母・義姉・姉・妹を介錯したと清助叔父の口から聞き唇をふるわせながら、針のような言葉を口から吐きだした。『叔父上はわが家人を介錯されし後、何故に自刃なされざりしか?』
柴清助は思いがけない言葉に瞬間、衝撃を受け、そのすっかり老いの滲んだ顔を肩の間にがっくり伏せた。かたわらの五郎は兄の言葉が酷すぎるのではないかと老人に同情しながらも、無言の重苦しい雰囲気に押し包まれていた。清助はいろりの火を見つめながら、彼らの母親から五郎の養育をたのむと遺嘱を受けた次第を語ったが、四朗の怒りと悲しみはそれでも解けなかった。話題が五郎の近況に転じて五郎が百姓仕事の手伝いや商いまで結構役に立つ……と努めて明るい口調で語ると、四朗の顔色は蒼白に変わり「五郎は武士の子、柴家の子弟でござる。百姓の真似ごとなど、それが母上の遺嘱でござるか」と言った。