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2014年10月22日

高遠そば-4-6 荻野鐵人

陸軍会計一等官吏に任官した野田豁通は五郎に、近く陸軍の幼年学校が生徒を公に募集するという耳よりな話を伝えてくれた。合格すれば、学費も賄いもみな新政府もちである。学問技芸を授けてくれて、しかも士官への道が拓ける、こんなうまい話がそうあるものだろうか。
11月初旬、和田倉門外の兵学寮に出頭し受験した。及落は来年とのことだった。
12月3日は新暦明治6年1月1日であった。1ヵ月はやく正月を迎えるため安場邸はにわかに迎春の準備にかかり歳暮の礼もせわしく、あと3日で新年という時になって福島より安場保和が落馬し重傷との知らせが届いた。家中大騒ぎとなり一家は直に東京の家をたたみ福島に移転することになった。昼夜兼行で荷造りして29日出発した。書生が留守宅を整理し、年内に閉鎖と決定した。五郎は1月1日の朝追い出された。別れに際し書生は10銭を恵んでくれた。何所といって行くアテも無く正月の街頭をさまよい歩いたが、朝から何も食べていなくて腹が減った。みすぼらしい汁粉屋に入り雑煮を1杯食べたらお釣が4銭で、二杯食べられなかった。アテどなく歩く中に、やはり山川家に行って懇請するほかなしと決意し、残りの4銭で金柑の小さな袋を一つ手土産代りに買った。東京での流浪の生活は、15歳の彼にそんな精一杯の才覚を身に付けさせていた。
主人の浩が折悪しく留守だった。そこで五郎は、彼の母親の勝清院と浩の妹の常盤に向かって事情を述べた。
「受験した陸軍幼年学校の及第判明のときまでで結構でございます。其の日まで恐れいりますが、また寄宿させて頂けますまいか」と必死に懇願した。
「宜しい。ここに居りなされ」と言われた時には感動のあまり涙を堪えるのが精一杯であった。このとき山川家は一層の恐るべき貧窮のどん底にあった。五郎の手伝えることといえば質屋に行ってなにがしかの金を得て来る事ぐらいだった。江戸以来東京の庶民は一応米のめしは食べられる。しかし、おかずとなると三度三度味噌汁の一品に限られた。ほんの時たま豆腐か煮豆がついた。煮豆屋に走る日の五郎は3銭の銅貨を握りしめこの世の幸福を胸一杯に感じた。
ある日のこと、五郎は主人の浩と母親勝清院の前に呼ばれた。そのただならぬ気配に五郎は緊張し正座した。いよいよ自分を置いておけないことになってそれを申し渡されるのか・・・。浩は言いにくそうに「じつは相談じゃが・・・貴公から預かっている金子(きんす)がある。少年の貴公に誠に頼み難いことではあるが、暫時借用させては貰えまいか。当家に於ても窮乏如何ともし難いのじゃ」五郎は自分のわずかな蓄えの14円がこの一家の急場を救うのに役立っことをむしろ嬉しく感じた。もと会津藩家老山川浩と母親は心から感謝の念を表して少年に向かって頭をさげた。



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