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2014年10月30日

高遠そば-5-3 荻野鐵人

日本大使館の杉山書記生が殺され、6月13日には遂に4,500人の義和団の隊列がとうとう公使館区域への侵入を試み始めた。ドイツ公使はこのうち2人を捕らえさせ杖でさんざん叩打した。東洋人には力で示すのが最良と考えていた。これは義和団を刺激し大挙して報復させることとなった。銃を持たない義和団にとって公使館区域の防衛線を破るのはそう簡単では無かった。義和団はキリスト教会に火を放った。さらに日頃西洋入に使われているシナ人の家屋、西洋の品を扱っている商店にも向けられた。大勢のシナ人が騒乱に巻き込まれ殺された。ドイツ公使は城壁の上を警備しているドイツ兵に眼下で拳を練っていた義和団に向かって一斉射撃を命じた。この夜キリスト教民に対する凄惨な復讐が行われ2千人が殺された。
6月19日、シナ政府から24時間以内に外国人全員の北京退去を命ずる通牒があった。抗議に赴いたドイツ公使は清国兵にいきなり銃撃され、即死した。20日午後からは、地域の警備についていた清国軍が公然と攻撃を始めた。暴徒とは異なり近代装備を持つ清国軍は大砲まで持ち出して、公使館区域を砲撃した。西太后が皇帝の名において列国に宣戦を布告し、本当の北京篭城戦がはじまった。 
 最初の2日間の戦いで区域の東北端に位置するオーストリーとベルギーの公使館が火を放たれて、焼かれた。西正面と北正面を受け持っていたイギリス兵は、イギリス公使館が西から攻撃を受けると、そちらに移動してしまった。
 北正面ががらあきとなり、清国軍が侵入するには絶好の隙間が生じてしまった。少数の日本将兵と教民たちがたてこもる北辺の粛親王府が破られれば、そこから清国軍は区域全体を見下ろし、砲撃することができる。清国軍は激しい攻撃を加えてきた。
さらに清国軍は、紫禁城の正門である正陽門および崇文門の上に砲二門を担ぎあげ、そこから公使館区域に砲撃を開始した。
列国の軍艦が太沽(タークー)に集結し、清国砲台は軍艦に砲撃を開始した。連合軍はただちに陸戦隊によって砲台を攻撃、激戦のすえ、これを占領した。しかし北京の西太后には、『太沽の清国砲台は二隻の洋艦を撃沈、また付近の清国軍は義和団と合して大いに外国軍を破り、天津に侵入して租界地を焼き払った』と伝えられた。『扶清滅洋』をかかげて蜂起しつつある義和団と、全国の清兵を動員するならば夷狭(いてき)を駆逐することも可能である、そんな妄想が浮かんだとしても不思議ではない。
トーマン中佐に指揮を任せてはおけない、という声が爆発し公使団は元軍人のイギリス公使マグドナルドの総指揮官を決議し要請した。マグドナルドは応諾した。そしてイタリア、フランス、オーストリア、ドイツと日本の5ケ国を指揮する権限を柴五郎中佐が委ねられた。



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