2014年11月2日
akira's view 入山映ブログ グルべローヴァ
グルベローヴァに初めて出逢ったのは70年代終わりのMET。今にして思えば彼女の当たり役中の当たり役、ツェルビネッタだったのだが、唖然としたというかほとんど茫然としたのを覚えている。こんな超絶技巧が人間の声に可能であるとは。その後にも夜の女王とかルチア狂乱を聴く機会に恵まれた。もちろん素晴らしかったことに変わりはないが、最初の印象には勝てなかった。考えてみれば彼女のフレージングは、一音一音がくっきり浮き出して、曖昧にグリッサンドをかけたりしない。好き嫌いはあるだろうが、彼女の声の透明感はこよなく好ましいものに思われた。なんと数十年を経て、再度印象を新たにする機会に恵まれた。
デビューからもう40年以上。その声に衰えが見られないというのも驚きだが、衰えないのが驚きですね、という歌手もいなくはない中で全くそういう「割引感」を感じさせないというのは、現代の奇跡という他はあるまい。その彼女のロベルト・デヴェリューを聴く機会があったのだ。演奏会形式によるウィーン歌劇場公演だが、これはもう、すばらしいを通り越して凄い、という一語に尽きる。初見のオペラで感動するというのも珍しい経験だが、それだけではない。このうえ素人の感激を長々と書き連ねる必要はないだろうが、利いた風のことを言えば、こんな素晴らしい公演をいながらにして日本で聴けるというのは、佐々木さんのNBSの「めきき」もさることながら、世に言うグローバリゼーションのおかげ、というべきだろう。
若かりし日のコロラトゥーラから、脱皮する作品を自ら発見するというのはカラスの「ノルマ」と軌を一にするが、円熟期(と敢えていわせてもらう)の彼女は歌唱力、演技力ともどもにこのドニゼッティの滅びかけていたオペラを復活させたといってよいだろう。偉大な三大テノールも消え行く中、最後の偉大なソプラノと時間を共有できた幸せを誰かと共有したくて。
2008年 11月 09日