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2014年11月10日

鳥人間《戸田太郎太夫》-6 荻野鐵人 影山芳郎

ベルツ花子の祖父

5.考察

日本に於ける鳥人の記録をよく読んでみると、第12代戸田太郎太夫より先代の太郎太夫が天明年間に飛んだという記載は恐らくは誤り、もしくは浮田幸吉の寛政元年(一七八九)より以前に飛んでいたことにするためのつじつま合わせ(『あいちの航空史』)と言われてもしかたがない。実際に、第12代戸田太郎太夫が飛行実験をしたのは、1840年代の天保-弘化年間と推定される。
戸田屋の新八さんの記載の内容からは第12代太郎太夫と同一人物と考えられる。また「戸田屋の新八さん、当時34歳の男盛り一丈余の滑り台より鶴を背負ひ、踏台より離れ、約100間位飛びたる由」の記載と、戸田家の源八が、「34歳の時、鶴の型の飛行機を製作し、五問程の飛行台を造り、その上から飛んだところ、約300間程を飛行した由」の記載の年齢と鶴の話の相似点から同一人物らしい。飛行実験のデータから考えても、記載のない飛行時間を戸田家の源八に関しては第12代太郎太夫が吉田藩主の前で飛んだ時の記録の約15秒を用い、戸田屋の新八さんに関しては5秒を用いて計算すると滑空比、飛行速度、沈下率、揚力係数がまったく同じとなる。すなわち同一人物が同一機体を使って、滑空台の高さを変えての実験と考え易い。
揚力係数は翼の性能を表す数値で、通常は1.5以上はとり得ない。この揚合は翼に要求される数値と考えるべきである。第12代太郎太夫が吉田藩主の前で飛んだ時に、強風を利用しとあるから実際には、毎秒5~10メートルの風があったと考えられるので、揚力係数は一1.0よりも更に低くなる。仮に、13メートルの強風が吹いていたとすると揚力係数は源八や新八と同じ0.4となり、製作が容易であったと推定される。
以上申し述べたように源八、新八、第12代戸田太郎太失の三者は同一人物の可能性が高く、飛行実験のデータも現代の航空工学でみても、正当性のある値と推定され、1840~1850年頃、グライダーで飛んだことが事実らしいと言うことができる。また当時、吉田藩主の前で披露したということも事実を裏づけるものであろう。もし嘘なら、首が飛ぶ時代だったのである。



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