2014年11月12日
鳥人間《戸田太郎太夫》-8 荻野鐵人 影山芳郎
ベルツ花子の祖父
文献から第12代太郎太夫の人間像とベルツ花子との関係を要約すると次のようになる。
戸田家は、慶長の頃から御油宿(今の愛知県豊川市)に住む旧家で代々大地主であり席貸しの大元締をした相当な資産家であった。代々当主が太郎太夫を襲名したが、幕末近くの12代の戸田太郎太夫(明治20年歿)は、一種の発明家で青年時代に飛行機を研究したり、自転車の前身ともいうべき木製の三輪車を作り、それに乗って豊川稲荷に参詣し、御油町史にも登場するほどの奇人であった。当時このような研究をする者には非常な圧迫があって、流刑の罪にさえ問われたほどであったが、幸い太郎太夫は御油の旧家だったので、その憂き目に会わなかった。しかし作業場に入ると半年ぐらいは寝食を忘れて打ち込み、先祖代々の遺産を全部これらの研究に使い果たし、嘉永五年(1852)頃、御油から豊橋に移り住んだ。その長男熊吉は江戸に出て、荒井家に婿養子し、唐物商をしていた。この荒井熊吉とその妻、袖の子として、荒井初子(のちのベルツ花子)が、元治元年(1864)11月18日(文久4年2月20日説あり)に、神田明神下で生まれた。初子の親戚にあたる彦坂武治医博は『名大医学部学友時報』、(昭和37年12月1日発行)〔ベルツ博士夫妻のこと〕の中に、《東京では結髪所の梳子又は東京大学出入りの食堂で働いていたらしい。ある高官夫人(傍藤博文夫人ではないかと思われる)の目にとまってベルツ博士の家に使われるようになった。勝手な想像を許していただければ博士が初子の頭脳と容姿を見込んで結婚したものと思います……》と記している。
戸田太郎太夫がグライダー製作で身代を潰(つぶ)し、一家が離散しなければベルツ花子は生まれてなかったのである。
【参考文献】
1 豊川市医師会史編纂委員会著『ベルツ花子関係年譜』平成2年2月
2 戸田実編『戸田屋戒名録』戸田家所有文書平成元年10月29日
3 中日新聞社会部編『あいちの航空吏』中日新聞本社発行昭和53年9月
4 日置昌一著『話の大事典』名著普及会発行昭和63年10月23日
5 福本和也著、木村秀政監修『人力飛行機』光文社昭和60年7月30日
6 野口常夫著『飛ぶ』講談社 平成3年8月28日