2014年12月3日
akira's view 入山映ブログ 予算・増税の虚妄(3)
キリスト教徒が人口の1%を超えたことのないこの国が、全土を挙げてクリスマスを祝う。もう何日かすると除夜の鐘を聞き、すぐに初詣。これにサバトとラマダン、それにヒンズーのお祭りでも加えれば世界の宗教勢揃いである。いかに宗教相互間の不寛容が世の中を難しくしているか。日本に来て学習しなさい、というのも日本の「顔の見える」一つの国際貢献かもしれない。ついでに言えば、社会主義がなぜ失敗したか。その理由と、それが長持ちしている秘訣を知りたければ日本にいらっしゃい、とプーチン大統領に言ってあげれば、意外に北方領土なんぞ解決するかも。
とはいいつつも、官主導の政治の明け暮れをなんとかしたい、というのがこのブログの主題であってみれば、そんな諧謔的な論調に満足している訳にもゆかない。で、前回に「官」の仕事の業務仕分け、乃至棚卸しの重要性を指摘した。要するに観念論の空中戦に溺れている限り、官僚を凌ぐ(outwit)こと等出来っこない。地上戦に持ち込まなければダメだ、という話だった。これが何を意味するか。事情通の方には退屈な話だから早々にログアウトして頂くとして、いささかならず官僚の文化や風土に不案内な方のために絵解きをすると以下のようなことになる。
失業者と求人数の単なる比率ではことの真相が見えてこない。失業者の持っているスキルと、求められるそれがマッチしていないから失業率は減少しない。ここは、失業者乃至はニート・フリーターに適切な職業訓練を実施することが何よりの施策だ。と、ここまでは観念論すなわち空中戦であり、これには「異議なし」と満場一致で法制度化される。問題はここからだ。『適切な職業訓練を実施する』ことに異論はない。しかし、その具体的な執行スキームとして「雇用・能力開発機構」なるものを(役人のOBをヘッドに)設置したり、「私の仕事館」(再びOBの管理下)なるものをウン億円かけて建設するのが適切かどうか。それを検証するのが地上戦だ。これまでにそれが試みられなかった訳ではない。しかし、百戦錬磨の玄人を相手にして、純情可憐な乙女が歯向かうようなもので、はなっから勝負あったみたいな立ち会いがほとんどだったのは人の知るところだ。
なんで歯向かえなかったのか。要するに「これがおかしい」「あれはどうか」という種類の問いかけあるいは論難に対して、空中戦に立ち戻って哲学的にはぐらかす。それが官僚の常套手段だったということだ。(問い:「私の仕事館」というのはいかにも無駄が多いのではないか。答え:就業を希望する人に対して適切な支援をするのは極めて重要であります。)それに比して、今回の「業務仕分け」あるいは「棚卸し」の優れているところ、従って、今後の地上戦で多いに採用して欲しいのは、具体的な実行スキームを単一フォーマットで表現させていることだ。つまり、言いたいこと、能書きを述べたいことだけではなく、触れられたくないこと、内緒にしておきたいことまで、プロジェクト相互比較が可能なように書き出させる、というノウハウである。
さらに、こうした一連の作業を官僚の自己統治、すなわち自身のためにする作文、に委せたのでは何も見えてこない。さればこその単一フォーマットであるのだが、その上に大事なのはフォーマット記入結果とそれに対する議論を全て公開の席で行う、ということだ。密室の中で都合の良い作文を試み、その結論だけを有識者(あえて御用学者とはいわない)に諮問して正統化する、というのと、「そこはおかしいよ」「あそこはどうなっているの」という議論を公然と行うのとの差は明らかだろう。
2008年 12月 26日