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2014年12月14日

藥、一服(その1)荻野彰久 荻野鐵人

桜も咲いて、寒い冬はもう去ったと人々は漸(ようや)く、春の季節に信頼しはじめる頃であった。
或る宵(よい)、其息子が私の診察を受けたという、五十余りの農夫が訪ねて来た。病気の相談ならば、診察室の玄関へ廻るよう云わしたが、病気の話ではない、私と秘かに話がしたいから、態々(わざわざ)、こちらの玄関に来たのだと云ったそうだ。
顔を見て追々憶(おも)い出した事だが、平谷村に住んで、百姓手間に温室花にカーネーションをつくつて居る男――大場源三(仮名)であった。
独り息子が死ぬ生きるのとき、母親が看に来ないのを何故か其時私は気になって、訊ねた事があった。源三は、「リユウマチで二十年も寝たきりだ」と其妻を唾棄(だき)するように云った。それで私は憶い出した。源三は、息子が病んでいる時でも、よく酔って居た。
小児の容態を話すのに、祖父母の歴史から語り出す田舎の人を知っている私は、
「話を、出来る丈簡単にして下さい」と無骨に云った。
「薬を一服貰いに来たがのう」と彼は、促されて咄嗟(とっさ)に云うように、タバコを唇へ運びながら云った。
「何の薬 ?」
「息子が悪いだ、いや、彼奴が悪いとしか思えん!それで俺は先生に頼んで、一服、もって貰いたい、極(ご)く内密にのん」と、黝(あおぐろ)んだ着物姿の源三は昂奮した面持ちで、新婚の息子を口(くち)穢(ぎたな)く罵(ののし)りながら云った。
「薬を一服、内密にもるって、息子を殺すのか !」と、呆気(あっけ)にとられた私は、緊張した声で誇張して訊ねた。
「なアんの」と、父親は頭を振って見せて、
「殺さんでもえゝがのん、嫁が里へ逃げっちまっただ、それはどうしたって彼奴が悪いにきまっている。此のまゝじゃ嫁が可愛そうでのん」
「一服だっていゝ加減には、もれないよ。診察をしてからでなくちゃ、ね、どんな病状だね ?」
「つまり、寝れんだのん」
「なアあんだ ! 息子が眠れないのか !」
「いや、嫁だ、寝れんのは、のん」
「何 ? それじゃ何の事か、ちっとも解らん」と、私は気荒い小役人が窓口で云うように、相手に性急に詰寄って居た。
私は些細(ささい)の事に一々腹を立てゝ居る自分を圧えて、
「あ、そうですか、じゃ嫁さんは不眠症か何かかも知れんが、結婚して来たばかりで、未だ新しい家庭に馴染めないせいかも知れませんね」と云った。



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