2014年12月16日
藥、一服(その3)荻野彰久 荻野鐵人
父親は先方の父親が帰るとすぐ、二階の蚕(かいこ)室に未だ寝ている息子の傍へ行って、
「やい、やい、貴様は何んという猥らな真似しあがったんだ ! 貴様は畜生も同然だ、畜生なら餌を喰って交尾する、それっきりの仕事だ、貴様は一寸(ちょっと)の間東京へ行って、汚らわしい太陽の真似(まね)覚えて来やがって!」と、殴らんばかりに怒鳴った。寝込みを襲われた息子は、はじめは未だ覚めない眼を擦(こす)って居たが、怒鳴られた意昧が解ると、
「――だから農村の女は可愛想なんだ、夫婦の手近な快楽戯(ぎ)術(じゅつ)というものを何も識(し)らずに、子供ばかり産まされて死んで行くんだ」と、却々負けては居なかった。
「何を ! こん畜生、農村の救世主みたいなことこきゃがって! 農村娘を、淫売女かストリップと思ってやがるのか、手前のような変態奴の居なかった神武さま時代だって、日本の女は、倖せだったのだぞッ! この西洋かぶれ奴!」と父親は顔を紅潮させて、無茶苦茶に怒鳴った。
「それにあの子は、手前一人の嫁だと思って居やがるのか!」と、また、こんなことを云った。すると謹作は、若者らしく隣近所への気兼ねから、父親の昂奮のさめるのを待つつもりで、二階蚕室の自分達の部屋から、梯子段を一つ飛びにかけ降りて、父親の背後を廻り寝巻の儘、サンダルのようなつっかけを履いて、門口から出て行きながら、
「青春を喪(うしな)った人間の嫉妬(ジェラシー)だ !」と呟(つぶや)いた。
それを父親は聞き違えたらしく、
「精神をうしなった人間を焦(じ)らしてやるだ」ととって、もうカンカン。
「やい ! 俺が精神をうしなった人間なら、貴様はどんな精神があるんだ、貴様は女と見りゃ変んな眼しやがって!」と、乱暴に罵った。
――そんなことがあったそうである。