2014年12月19日
akira's view 入山映ブログ 市民社会(3)
オカネ集めの難しさについて前回に触れた。会ったこともなければ見たこともない人の言い分を信用してオカネを出す、というのは振込詐偽を見ても解るように、怪我をすることが多いのは世の倣いだ。まあ、寄付というのは「見返りを求めない投資」であって、「世のため人のため」だと考えてオカネを出すのだから、腹も立つまい、という訳にもゆかない。早い話がよく駅前にいて、震災被害者のため、とかなんとか言って怪しげな風体の人々が募金をしている。一寸出す気がしないね、というのと、女学生が何人か並んでいて「赤い羽募金にご協力くださあい」と声を張り上げているのと比べて見れば納得だろう。経済学に言う「情報の非対称性」の話で、騙す方は騙される方より中身を良く知っている、ということである。
だから、こつこつと貯めた何億円かを老婦人が寄付した、という美談の場合も、寄付先は地方自治体だったり、せいぜいで日本赤十字どまりだ、というのもこの裏返しだ。お役所に寄付すれば全部が無駄遣いされてしまう、などというつもりはないが、オカネの有り難さと「生かして使う」ことを人一倍よく知っている民間の非営利組織に寄付した方が、オカネが生きる、何よりも何に使われるか、どう使われたかがはっきりする、というのはほとんど自明なのだが、そういう話は余り聞かない。それもこれも、信用の問題。もっとひらたくいえば「ここならまあ安心だね」という寄付先に対する評価の問題だということになる。NGO・NPOといえども、中にはかなり怪しげなのもあるのは周知の事実だから、どんな仕事をしてきたか、どんな組織か、という情報が、信用できる「めきき」が提供するのでなくては、民間寄付が飛躍的に増加するはずもない。
いい仕事をしていることが確実であればこそオカネを集めることができる。しかし、いい仕事を始めようとすればオカネが必要だ、というニワトリと卵のような話をどう解決するか。歯を食いしばって実績を積んで、それから世の支持を求めなさい、というのが真っ当な議論かもしれない。しかし、かなりの実績があるにもかかわらず、さっぱり支持者が増えなくて四苦八苦、というあたりの実情についても前回に触れた。どうするか、という話になって、民間の手になる信用できる格付け機関のようなもの(所謂「めきき」)があるとよいのだが、という方向に向けていくつかの努力がなされているという点も指摘した。それが出来上がって巡航速度に入るまでは、既存のそれに代わるしかけを活用するほかはなかろう、ということになる。制度的に認められた「公益法人」あるいは「特定公益推進法人(所謂NPO)」というのが考えられる唯一のものだが、前者についてはお役所の外郭団体のようなものが幅を利かせる、後者は寄付をしても必ずしも税制の上で有利な取り扱いを受けない。
それを何とかしよう、というのも公益法人制度改革の大きな目玉だった筈だ。それが、新制度たるや、旧態依然の天下り法人の手厚い保護だと疑われても仕方がない出来上がりになりつつあるのみならず、いい仕事をしているかどうかには余り関心がなく、やれ収支の比率がどうだとか、余剰金の額がどうだとかいう愚にもつかない点にしか関心がない。どんな仕事をどんな風に行っているか、を明らかにして、その公表によって民間の支持者を増加させてゆく、という舵取りをしなければ、いつまでたっても日本の市民社会というはかけ声倒れになろうというものだ。それ以外にも実は一つ二つ知恵はあるのだが、それについては項を改めることにする。(この項続く。)
2009年 01月 28日