2014年12月24日
藥、一服(その8)荻野彰久 荻野鐵人
「不可という訳もないけど、自分の嫁の肉体を空想しちゃ、ね、それに空想も度が過ぎると、ね」と、私が云うと、源三は突然、我に更(かえ)った表情になり、
「先生! それじゃあ、何か、俺が先生んとこのあの額縁の画、あの画を、俺がこう眺めてだ、自家へ帰ってあの雲の色、あの山の谷間、あの川の流れる音と、こう空想して楽しんじゃいかんかのん? あれは先生の画だによって、俺が美しいと空想しちゃあ、いかんかのん? 通りすがりに琴の音を聞いて、美しい指を空想しちやいかんかのん?」
「息子を太陽族だ、猥らだと非難して居ながら、自分は嫁の肉体を空想する、それは、年令の相異から来る不潔だね」と、私は不快を露わに示した。
「じゃなにか、先生は日本に、友達の女房を奪う人間はないちゅうだかのん!え? そんな人間に比べれば、俺が嫁の躰を空想する位、えゝわのん、のん ? 空想だで、のん?」
「さあ、そんな人間があるかないか知らんけど、まア、いいことじゃないね」
「よくても悪くても、いくらも俺は聞いているだがのん、先生、先生、俺はのん、子が母を、父が娘を、犯したちゆう話も聞いたがのん」と力んだ表情で云った。
「広い世間にはそんなことも、あるかも知らんけど、そんな馬鹿な !」
「あっはっは、いや、話として聞いているだけでのん、俺もそんな者がこの日本に住んでいるとは思っちや居らんが、のん」
「さあ、それに夜ももう晩いからー」
「そうだが俺はのん、俺んとこの蚕室の二階で、猫が交尾しているのを階下で聞いて空想するだけでも、一寸変な気持になるがのん、これも病気かのん?」
「――」
「――じやあ、結局薬は、貰えんかのん、息子の精弱め薬をのん?」
「――」
「精の強すぎるのは、病気じゃあないかのん、きようびの医学は進んだと云うが、そんなものは癒(なお)せんだかのん、先生んとこで癒らんけりや、しょんないがのん。うちの嫁が謹作に締め殺されたら、俺は、先生を恨むぞん、あっはっは」
「青年には、青年の誇りや差恥心があるから、年寄りのあんたが気を廻わすことはないよ」
源三は帰っていった。