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2014年12月26日

藥、一服(その10)荻野彰久 荻野鐵人

次の土曜日の夜であつた。馬場の夜桜を見に行くらしい人々が、豊川稲荷の裏道を歩いていた。村の青年が2、3人、メモリアル・オブ・ユースか何かを唄いながら、そちらの方へ歩いて行った。
往診を全部済ませて自家へ還えると、妻の顔は見えなかった。9時を少し過ぎていた。寝て居る筈の子供たちが、白いシーツの上に俯向になって、両手を囲んで牧場をつくり、顎で被いして、未だ戯(あそ)んで居るらしかった。
「――ね、手の囲いが、馬のいる牧場だよ、さあ、眼をつぶって―」と、男の児が言った。
「――はい、つぶった」下の女の児が盲の顔になって答えた。
「この牧場には馬が五ひき、いるんだよ、見える ?」
「うん、うん、見える見える、丸い木のさくで、緑の原に、太陽がてって、広いわ」
「馬、いま、どうしている?」
「ゆっくり歩いている、二ひきは長い首をのばして、草をたべている」
これを、隣の茶の間で聞いている私の空想のキャンバスにも、緑の草原に放たれた馬が映って来た。私は、いつかの夜の、源三の「空想快楽」を憶い出した。
戸外はいつか風となった。アンテナは顫(ふる)えていた。歪んだ総理大臣や大臣の顔が、テレビに映っていた。空気は乾燥し、近県に大火があったと報じた。
晩く、源三がやって来た。彼は甚(ひど)く慌(あわ)てて居る様子でもあり、何か昂奮している表情でもあった。今夜の彼は、酒は全然飲んで居なかったが、彼の語った話は前後していて、伝え難いから、私が要点だけ掻(か)い摘(つま)んで話すことゝしよう。
前夜の出来事だそうである。風のない暖かい晩であつた。
其日は、息子と嫁の、例のいざこざ(実は、双方の父親たちの、単なる想像に過ぎなかった)の話がついて、――若夫婦の性生活の話故、本人同志で解決することゝ――嫁が夕方には、帰って来ることを源三だけは知っていた。息子には何故か、知らされてなかった。尤も翌日は、温室カーネーションの出荷日に当り、源三は朝から、大変忙しかったそうである。謹作は、10時頃起きて来て飯を食べると、出掛けようとした。
「何処へ行くんだー」と、父親は怒鳴った。
「面白くもないから、床屋へ寄って、映画へ行って来る」と、謹作は言い棄てた儘行ってしまった。
午后四時頃、嫁は、洋服の身軽な姿で帰って来た。4、5日見なかったせいか、源三の眼には嫁の洋服姿が、殊更に美しく映った。
「さあ、さあ、御飯、おあがり。俺がいま直ぐお茶を蕩(わ)かすからのう」
「お父さん、今頃、何の御飯?もう4時だからお昼は済んだし、晩御飯は未だ早いでしょう」と、嫁は白い歯並を見せながら云った。
「あ、そうかそうか、じや、何んぞないか、うまいものは!」と、源三は何か探すように見廻しながら云った。
気立ての優しい嫁は、庭先の日蔭に置かれたカーネーションの出荷日を知っているように、其儘手伝いはじめた。
「さあさあ、洋服が汚れるで、ええゝゝ、俺がするで」
彼女は黙ったまゝ、忙しく悪い花良い花を撰別していた。
二人はしばらく一緒に、出荷の仕度をしていたが、腰が痛いと言って、縁先に腰をおろした源三は、ジユゥジユウと煙草を喫いながら、花を束に縛っている嫁の姿を横から眺めていた。ピッタリとしたスカートに包まれた挑むような腰の辺、膨(ふっく)らと水々しく盛り上った胸壁を眺めて彼は、恍惚(こうこつ)としてしまった。焼酎一合と同量位酔ったそうだ。彼女のそうした姿態が、父親をすっかり陶酔させたことは事実らしい。



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