2015年1月4日
藥、一服(その13)荻野彰久 荻野鐵人
次は、あの子を助けにゃ !と、源三は、電燈を点ける暇もなく、息子の床を手探った。居なかった。半しゃがみになって伸ばした両手で、嫁の死体を探した。謹作の床にはなかった。電燈を点けた。嫁は、少し離れて別床に、布団を被って居た。
「あ、お前、可愛想に !」と、源三は走り寄った。荒々しく布団をひんめくった。最前から何事が起ったかと、ぶるぶる額えていた嫁は、近寄る父親を怖れて階下へ逃げた。
――とバタアンと、さきがた、階下で聞いた音響を、源三は自分の背後で聞いた。振り返って見ると、交尾をして居た2匹の猫が、天井の梁から、落ちたのであった。部屋の隅では既に済んだ他の1組の猫が、一目散に逃げた。
階下では、最前、突き落された息子は、傷だらけになった儘、父親に哀願していた。
「お父さん、今日の花荷、悪かった、悪かった、僕はそんなつもりで、映画に行ったじゃない。「嵐」を見て来たんだ。お父さん、お父さん、堪忍しておくれ、お父さん」と、父親の膝を掴んで泣いていた。
「お父さん、もとは、わたしの我儘からです、許して上げて下さい。わたしが里へ遊びに行ったりしたのが悪かったのです」と、嫁も泣いていた。
父親は、逃げて行く猫の後姿を、放心した表情で、ぽかアんと眺めていた。
それから十日後に源三は、脳神経病院に入院した。
私は医者として、未だに気になっている。源三は、空想が過ぎて、脳神経系の疾患に罹ったのか、それとも、素質にそんなものがあって、空想が過ぎたのか、と。その辺の事は、脳神経科医にお願いする他はない。内科医の私は解らぬ事ばかりだ。暇が許せば、それも勉強したい。
さあ、春だ、快い季節だ。病人も日増しに減るだろう。そうすれば、忙しくて休んでいた例の節食と長寿の実験を、また続けたいと思っている。(1957.3.20)