2015年1月7日
akira's view 入山映ブログ 小泉発言
解り易さだけが政治の全てではない。国民の側に一定の理解能力(literacy)を要求するような問題も存在するのは事実だから、必要以上に問題を単純化して感情的要素に訴えるいわゆるデマゴーグ(煽動政治家)に対する警戒は常に必要だ。しかし、ことを解り易く説明して国民の理解と共感を求める、という作業が民主主義下の政治家にとって極めて重要な資質であることに変わりはない。政治家の主張の解り易さが信頼感に結びつくことは多いからだ。
その意味で12日の小泉元首相のコメントは極めて解り易かった。所謂郵政造反組の復党から始まった一連の「反小泉改革」の動きがついに彼の忍耐、あるいは許容限度を超えた、という見方もあるだろうが、それにも増して、麻生首相の言動の迷走ぶりに危機感をつのらせた、と見る方が当たっているのではないか。森前首相の不得要領の麻生擁護論とは解り易さにおいて好対照であると言ってよいだろう。(あの低支持率で下野を余儀なくされた領袖が、いまだにキングメーカー気取りで随所に影響力らしきものを行使していること自体不可解だが、それは別論にしても、である。)
緊急の政策が強く求められているこのときに、「政局」に関心が集中しかねない動きが表面化することは決して好ましいことではない。野党指導者が政策は二の次にして政局作りに集中しているかにみえる昨今ではなおさらのことだ。しかし、重要な時期であればこそ、その舵取りを委せるにふさわしい指導者にわれわれはそれを委せているかどうか。経済難局といわれる事態が発生してから今日までの間に、その答えは限りなくノーに近いように思われる。とすれば、残念ながらとりうる選択肢は二つに一つ。頼りなかろうが、信頼感が欠如していようが、麻生首相の手持ちの政策でとにかく予算を成立させ、来るべき衆議院の任期満了を待つ。今ひとつは、予算を否決して国会解散か内閣総辞職という局面を実現する。総辞職後の自民党総裁は小池さんになるのであれ、中川さんになるのであれ、(まさか小泉さんということにはならないだろうから)即解散、という筋書きだ。かなり不毛な選択肢だが、ことここに及んではやむを得ないといわざるを得まい。いい加減にしてほしい(too much is too much)というに近いか。
2009年 02月 13日