2015年1月18日
akira's view 入山映ブログ 市民社会(5)
市民社会が資源不足に悩み、それが原因となり結果となってそのプロフェッショナリズム欠如を招来している、という事情について何回か指摘した。同時に、日本の市民社会の代表的存在である筈の公益法人が、お役人の天下り先として認識されがちなことに象徴的なように、官庁の外郭団体視されていること。今次の公益法人制度改革が、この状態を改善するどころか、むしろ改悪しそうな出来上がりになりつつあることも指摘した。
実はこれ以外にも市民社会のイメージが日本に定着しない理由はいくつもある。その典型的な例は、市民社会、すなわちお役所でも企業でもない主体が社会で果たす重要な機能、がお役所のタテ割り・タコ壷的な機能構造に絡めとられて、四分五裂どころか、百を超える機能別・タテ割り組織に分割されている事実に見ることができる。つまり、文部科学省所管の市民社会組織は学校法人や宗教法人、厚生労働省のそれは社会福祉法人あるいは医療法人、さらには労働組合。協同組合はそれぞれ分野に応じて個別の法律で主管のお役所がわかれ、これに都道府県が所管するものが加わるという始末だから、統一したイメージどころか、隣は何をする人ぞの趣である。さらに阪神淡路大震災直後に成立したいわゆるNPO法人(特定非営利活動促進法)は、ダーティー・イメージのつきまとう公益法人とは一線を画する、という有様だから、見事に官僚組織によって「分割し、統治」されているといってよい。
とかく群れたがるメダカではあるまいし、何も群れればよい、というわけではないが、民間の創意によって「お役所仕事」とはひと味もふた味も違う活動をする組織がかくもてんでんばらばらでは、政・官・財の鉄のトライアングルに対抗するどころか、機能を補完し得る「しかけ」であることすら認識の俎上に上らない。この現状をなんとかしたい、と考える人たちの間では、一見バラバラに見えるこれら組織の間に何とか共通項を求めようとする動きがあり、その共通項として「非・営利」を抽出するところまでは認識が共有されている。実際に非営利組織をひとつのグループとして認識しようとするのが「市民社会」という考え方で、とうにそのようなものとして取り扱っている国々も多い。非・営利というのは、オカネを儲けるな、という意味ではなく、儲けた利益を特定の人々(従業員とか株主)に還元するな、という意味であることは注意が必要だろう。この点については先に(2.11「漢字検定」)述べたので繰り返さない。
自分たちの縄張りだ、と思っていたところに新興勢力(民間非営利活動の歴史は日本では7世紀くらいまで遡ることができるから新興という訳でもないのだが)が入り込まれたのでは面白くない。そこでなんとか大同団結することは妨げよう、という動きが出るのは当然だ。例によって、それに迎合する論者が出現するのも世の倣いで、新しい公益法人制度はこれまでのバラバラな法制と抵触するものではない、すべきでもない、という有識者が出現したりする。毎度繰り返しで恐縮だが、オカミのなされように文句ばかりいっていても仕方がない。自分たちの手で何ができるか、何をしようとしているのか、が問われている。積極的にそのために力を貸す(1.31「市民社会(4)」)のが一番だが、せめてはそれを邪魔する方にはまわりたくないものだ。
2009年 02月 23