2015年1月20日
akira's view 入山映ブログ 政局
先に野党幹部の「さもしさ」を指摘した(2.14「小泉発言(2)」)が、同根の「さもしさ」がまたも露呈する。輿石議員会長の後は山岡国対委員長。予算案の週内議決に賛成するが、それは自民党内に「政局化」の動き、すなわち反麻生、反執行部の動きがでることを期待してのことだと言う。民主党に良識ある代議士がいないでもあるまいに、なぜこんな品のない言動を放置するのだろうか。自民党が(人がない訳でもあるまいに)麻生氏を選択したことを、これでは批判できないではないか。55年体制下の国対政治を一歩も抜けていない、いや、いまだに古色蒼然としてそのメンタリティしか持ち得ない人々が厳然として民主党を仕切っている。この党にどんな新風を期待できるというのだろうか。しかも、当の山岡氏は旧社会党系旧体制にどっぷり浸かっていた人ではないだけに、余計病根は深いというべきだろう。
予算を通すのは、それが国民の福利厚生に役立つと思うからだろう。たとえ小異には一言あっても、この経済情勢下では対策を急ぐからではないのか。繰り返しになるが、たとえハラの中はどうあれ、少なくともそういうポーズをとってこそ「品格」というものは保たれるのではないか。山岡氏とて綺麗ごとの一つも言えないほど知性が欠如されているはずもないのは経歴からも明らかだ。とすれば、うかとホンネを語ってしまったというに尽きるのではないか。
迷走の限りを尽くす政権と、それを利して政権を奪取したい野党がいるのは当然のことだ。しかし、社長になることだけが目的であるのと、したいことがあるから社長になりたいのとは随分違う。常住坐臥国士であってくれと望むのはあるべくもないことだが、せめてはTPOを心得て発言をする政治家がもう少し顕在化してほしいと思うし、近く行われる総選挙で、それを実現させる他はない。さてわが選挙区にそれを期待できる候補者が存在するだろうか。
なるほど民主党は、霞ヶ関主導、官僚支配の打破を謳っている。しかしヴィジョンなく手段の置き換えを目指すことにどれほどの意味があるか。さらにいえば、それにどれほどの可能性があるか。識見と品格があって始めて官僚も政治家の言に従うというものではないか。もちろん完全無欠な人間などというものは空論そのものだ。しかし、うかともらしたホンネにこそ真実が宿るとすれば、山岡国対委員長のメンタリティは(国対という職務上やむを得ないという点を割り引いたにしても)政局ありて政治なしと誹られても仕方あるまい。再びこれは特定個人の誹謗でもなければ中傷でもない。政治ヤのみが横行して政治カがいない、という事態の象徴であることを危惧している。要はバランス感覚の問題であるというに尽きるのかもしれない。
2009年 02月 24日