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2015年2月3日

乞食と大学生(2)-3荻野彰久 荻野鐵人

真夜中に、墓場で女に出逢う程気味悪いものはない。幽霊と思ったのはこの乞食女であった。彼は、火玉の上る墓場に来たと思った。彼は浴衣の裾を掴んで、墓場の鉄柵を股がって越した。
彼は、ビル街のギャングに迫る警官のように、墓石の影に身を隠しながら忍び寄って行った。彼は、誰かの墓石の前に身をすり寄せたとき、思わず墓前供養の花束を握ってしまった。(墓場の花を俺は掴んだ!) と彼は思った。縁起でもない、と彼はそんな事まで思っている。彼は、燃え上る焔に自分の白い浴衣の仄んのり染まるのを知った。
墓場の焚火を見た時は、女乞食が夜更けの寒さで、焚火に安全な墓場を選んだのだろうと思った。(あ、この乞食の事か!) と彼は、例の噂を想い起した。――この女乞食は、長い杖を肌身離さず持っていて、自分を軽蔑したり、無礼なことを言ったりすると、杖で相手を擲りつける、かと思うと、乞食女に似合はぬどこか気品があると云うので、「乞食の局(つぼね)」と渾名まで付けられていた。其上この女乞食は、占上手で評判でもあった。然しそれは、乞食と言う特殊環境の人生体験から「占」が出来るのだろうと言う人もあった。
美代子が家出したときも、飼猫が居なくなったときも、母は占に通いつめていた。恐らくこの女乞食であろうと彼は思うのだった。
墓場の影に身を隠していた彼は、焚火をしている女乞食の様子を暫く眺めていた。
公孫樹の枝間に、細紐が渡され、干物がしてあるのが、時どきの風に動いていた。
女乞食は焚火を背に、此方に向って、突然裸躰になった。
アレ、アレツと彼は思いながら(虱(しらみ)でも取るのかな)と思っていると、女は下着を全部、白無垢のものに着更えていた。彼は驚いた。一枚一枚着てゆくのは、穢い襤褸ではなくて、清潔無垢な下着であった。(この女乞食は!) と、彼は奇異な感じに打たれた。更に彼を驚かしたのは、その清潔な下着の上に、女は、薄穢い襤褸を纏いかけていることであった。乞食の容姿に身を隠しているのである。
(これは、従(ただ)の乞食じゃない!) と彼は思った。
乞食女は、焚火の旁で、それだけの服装を着更えると、旁の杖を一度掴んで、四囲を見廻した。墓影の彼はどきりとした。自分の体の露見を怖れたからであった。身を更に縮めた。
占女は、杖を其儘又元の場所に置いた。女は墓の台石の処から、トランクを持ち出して来て、脱いだものを一枚一枚畳んで仕舞っていた。
チャンスをねらっていた彼は、二つ程咳払いをして、思い切って焚火の方へと歩いて出た。
「お前は何者だ!」と、女は杖で彼を擲ろうとした。喫驚したのは、女であり、同時に又男でもあった。
「僕は、路を迷ったんだ」と、小心者の信次は、下を見て言った。
占女は影を避けて、焔で照らすようにしながら、彼の顔を凝視していた。
「お前は、何処に住んで居るんだ?」
「いやあ、僕は、あんまり遠くじやない、僕は、悪者(わるも)んじゃない、学生だよ」
「あ、学生さんか、闇に迷ったんですね。占なら、夜はやりません。夜はわたしは、人には逢はない事にして居りますから」
と占女は、相手の顔貌を観、学生だと聞いて、突然、詞使いを改めて言うのだった。
「こちらへ来て、火にお当りなさい」
女主人は材木の切端を二つ、焚火に投げ込みながら言った。火の中へ黄金虫が一匹飛んで来た。名も知らぬ小さい虫が、焚火の上を飛んでいた。
彼は黙った儘、鋸屑や古板の積んである場所を廻って、焚火に近づいていた。
夜更けの墓場で、焚火を前に、信次と占女は、手を翳していた。墓場の焚火は、時ゝどきパチパチ音を立てながら燃える火玉を、闇夜に上げていた。



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