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2015年2月9日

乞食と大学生(2)-7荻野彰久 荻野鐵人

「わたしの家の前には州がありました。それには橋が架っていまして、つまらない木橋でしたが、いつかの大水で流れてしまい、あとは橋がないのです。旅人が枯れた其の川を渡るとき、『この川は橋のない川だな』と云って渡っていましたけど、わたしの過去も、そうです、もう現(いま)では、橋のない川となってしまいました。わたしには、人生という川を渡って、青春という川向うに渡れる橋は、もうございませんものね。よしましょう。こんな感傷めいたお話なんぞ」
「でも、話してみて下さい」
「いゝえ、他人さまと比べられるような正しい生活ではございません。わたしの父は、九州士族の血を引いた厳しい人でした。わたしは哲学を専攻したいという人のところへ嫁ぎましたが、大変な勉強家でした…。わたしが愚かだったのでございましょう。娘のわたしの夢は破れたと悲しんだりなど致しましてね。娘時代に少しばかり習ったソプラノで歌手を思い立ちましてね。いゝえ、そうではなかったのでしょう、愚かなわたしは、本当は、その方の、薄い愛情に飽き足らなかったのでございましょう。現(いま)にして思うのですけど。華やかなステージを踏みたいと夫に話して見ました。許されよう筈はございません。離縁を思い立ちましたのでございます。父は、わたしのそうした放縦を許しませんでした。仲に立った母は泣き通しでした。でもわたしは、発った一回きりの自分の青春を、思いきり有効に使いたかったのでございます。父からは勘当の身となりました。ソプラノ歌手になって間もなく、或る男性と邂逅(めぐりあい)ました。間もなくその男性は、別の女性と満州へ往ってしまいました。自分以外の女性と往(い)ったことは露知らず、わたしは彼を追って往きました。あとはあなたさまの御想像通りでございます。わたしは、そういう運命だったのでございましょう。その男性は現地召集で戦死となり、わたしは、この命、愛(お)しさに、満州の或る高官と結婚しました。ところが、日本と異なってあちらは、そういう習慣なのでしょうか、一号、二号と囲って、わたしに隠して居りました。一人の子の母として、わたしは悩み抜きました。終(しま)いには、あちらで乞喰女になったり、お百姓の女房になったりしました………人間、不幸になりますと、なぜ、つまらない自然の風景に、涙ぐむのでしょうか。満州の曠野の果に、わたしは鋤を肩に、青い空の白い雲を眺めて、泣きました。秋空の、美しい夕焼け雲も、わたしにはいけませんでした。日暮どきです、悲しいのは……恋も愛も……たゞもう無性に、日本の空が見たくなりましてね、夫である百姓のその満人が、夜、肩を揉んだり、足を摩(さす)ったりして、親切にして呉れれば呉れる程、わたしは日本の空が……無性に……乞食をしても、ああ、日本の空の下で……と思いましてね。たゞの一日でも、いゝえ、一時間でもと、わたしは思いましたよ。それは夏から秋にかけての空でした。碧い東の空に、ムクムクと何かが爆発したように、情熱的な白い雲が、西からの夕日を受けて光っているのです。ああ、美しいものを見た!と思うと、わたしは泣けました。美しいものほど、人のこゝろをハッとさせるものはございませんもの。再びわたしが眼をあげたとき、美しいその雲はもう見られませんでした。美しいものは、なぜ、命が短いのでしょうか。その夜でした、(明日こそは!) とわたしは、新しい決意をして、連子の寝顔を眺めました………ああ、この児を置いて!とわたしは、自分の我儘さ、自分の愚かさを思い知りました。わたしの決心は、真中でプキッと折れてしまうのでした………でも間もなく、その子は死にました………よしましょう、あなたには、何んの興味もないお話です……夜の星、日本の星、わたしの夜毎の夢はそれだけでした。あゝ、人生とは何だったのか、何が自分をここまで駈ったのか、自分は人生のどこの廻り角で間違ったのか、人生の奥行はもうこれだけだったのかと、そんなことを思いましてね。そういう時には、遠くに瞬く星が美しく見えましてね。誰れも、わたしを不幸にしたのではございません、わたしは、そんな道を好んで歩んだのでございます。日本の星だけを夢みて、日本に辿り着きましたのでございます。わたしは、男性怖さに、尼僧になりました。でも、愚かなわたしは、又しても男性の愛情を信じてしまいました。いまにして思えば、愚かなのは自分だったのでございます。男性の慾望と女性のそれとは、中味が違うのでございましょうか、わたしは、幼頃、数学が好きでした。殊に確率のところが好きでした。……幾度か信じても掴まれずに、消えて行くわたしの虹。あゝ、わたしは乞食女になりました。昼間は顔に、悔恨のような墨汁を塗りつけ、襤褸を纏い、夜は、過ぎにし人々の墓の前で火を焚いて、……あゝ、わたしは乞食女になりました。これならば、そうです、これならば、男はもう、わたしに愛情を信じさせようともなさらないでしょうし、わたしも、自分の外皮は乞食女だと自分に云って聞かせれば……あゝ、わたしの青春の頁は、もう全部繰(めく)ってしまいました。後の頁には、どんなことが書いてあるのか、一字一字を心静かに読んでゆく心算でございます。その日その日の一寸した出来事が、その日の気分を支配するように、始め僅かの事が、人間の運命を支配するのでしょうか」局は斯んなに云って、不図、視線を空に向け、
「あれ、森の上に月が出ましたね。流れる雲の速いこと……わたしは、日本のこの空、この星を、どんなにか憧れたことでございましょう。………謡曲好きの父は、母によく、人間万事塞翁が馬などと申しておりました。わたしは、あの流れ雲を眺めて、父を想い出します。月下の夜なぞ鼓を打ちながら、謡曲を唄っていた父の姿を、想い浮べるのでございます」と雲間の月を眺めながら局(つぼね)は云うのだった。



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