2015年2月10日
乞食と大学生(2)-8荻野彰久 荻野鐵人
若い信次は、妙に胸が裂ける思いで、泣き出してしまった。
「おばさん!」と信次は、突然起って、正面から、局の顔を凝っと視凝めていた。伏せていた顔を除(しず)かにあげた局の瞳にも、葉露のような涙が光っていた。
「信次さん、この乞食女が、あなたさまに一つお願いがございますが――」
と局(つぼね)は、信次の顔を覗き込むようにしながら云うのだった。
「どうか、美代子さんを、許して上げて戴けないでしょうか?」
信次は、黙つた儘、頷いた。青春ある者、青春喪(な)き者、二つの心とこゝろ、一つが鳴れば他は共鳴して鳴る山寺の鐘のように、何時の間にか、心とこゝろは共鳴し合っていた。信次の手は、局の手に結ばれて・・・・。
其の時であった。全く夢の中でのような奇異な現象が起った。どこからともなく、誰からともなく、心の扉を叩く力強い歌声が湧いて来た。闇空に上る炎のように歌声はこちらへやって来た。それは二人の、心を醒ます革命の歌声であつた。初節だけ、フランス革命歌をそのまま歌い、二節からは彼等独得の歌に切り換えた革命歌である。
Allons, enfants de la patric,
Le jour de gloire est arrivé
・・・・・・・・・
叩けよ 聞けよ わが心の扉を
・・・・・・・・・
独り局(つぼね)は、静かになりたいかの如く、瞑想に耽っている表情で、額に手をやって、残り火をぼんやりと眺めていた。
力強い歌声は、更に近づいて来た。それは彼等――未来ある者と、過去ある者との、内心の革命歌でもあった。脱いだ帽子を手に持った大学生の一群が、右からも左からも「叩けよ、開けよ、心の扉を………」と合唱しながら、墓場へ、墓場へとやって来た。
花束が焔の上に投げられた。女学生の一群が歌いながら又やって来た。月下の歌声は、沈黙の墓石に木霊(こだま)した。何処からともなく、又会社員や商人が、声高らかに歌いながら、夜更の墓場に集まって来た。
彼等は、局と信次を囲んで、グルグル廻りながら、「男よ万歳、女よ万歳、人間万歳!」と叫んでいた。
斯(し)るとき斯る人々の革命歌とは、東洋伝来のあの禪渋な感情はもう日本では味わえない過去の夢か!と局(つぼね)は、失望しなかったゞろうか?
斯くして、月下の墓場は、革命歌の一大ステージとなってしまった。
重そうな往診鞄を提げた一見田舎医者風の老人は、不図、墓場のこの光景に視線をとめて、
「墓場での、革命歌?ふううん、みんな永生きがしたいのじゃな、あ、そうか」
と何か謎めいたことを、独りごちながら、又戻の道を歩いて往(い)った。