2015年2月11日
乞食と大学生(3)荻野彰久 荻野鐵人
翌朝は、キラキラと太陽が照っていた。
信次は、暑くてもう寝ては居られなかった。彼は何より先に、昨夜の乞食の局のことを想い出していた。
「あれは一体?」と首を傾げた信次は、着更えると、前夜の墓場へと急いだ。墓場は、百日紅や欅の茂っている庭を横切り、森を通り抜けた処にあった。(昨夜自分は、裏から鉄柵を股がって越したと信次は思っている)
墓場に入った信次は、この墓、あの墓と、前夜の乞食の局が居たらしい処を捜して歩いていた。局(つぼね)の姿は何処にも見当らなかった。
「はてな?」と信次は、又首を傾けながら、前夜の赤い焔を想い出そうとした。
前夜、花束を燃やした跡は? と信次は、地面を観い観い捜して歩いた。墓場の向うの端では、黒衣の寺小僧が、そこいらの塵埃を掃き集めて焚いていた。白い煙が、真夏の空へ流れていた。
以上の事を、信次君が私に話した。これを聞いた私は、
「それは君、君が眠り込んで間の一場の夢だよ」と笑いながら云うと、抵抗するように信次君は、
「いゝえ、絶対に現実の話です。僕はこの眼、この耳でちゃあんと確認した事実ですよ」と強く云い張っていた。
「それじゃ、君は幻視、幻聴の精神異常だよ」と私が笑いながら云うと、
「じゃ、僕が狂者だと云うことにしておきましょう。然し、僕の心の中からは、あの局(つぼね)は、永久に消えないでしょう」
と、彼も大きな声で笑っていた。
私達二人は又笑って、小高い丘の上から、広い広い海を眺めていた。
広い海面に、陰陽二つの影を投げているのは、海に浮かんだ戯(いたずら)な一片の雲であった。