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2015年2月13日

スターリンへの端書(2)荻野彰久 荻野鐵人

「お前さん、役場の衆だのう?」漸く、医者に心づいた老婆は、眼鏡越しに白眼で、医者の笑顔を見て訊ねた。医者は笑顔をくずさず立っている。
「おい、役場の衆、未だ報せはないかのう?」奥の畳部屋では、仏壇の前に坐ったアゴヒゲの白い老人が、外に立っている医者の方へ首を廻わして訊ねた。
医者は違うと頭を横に振って見せたが、老人は「報せは未だない」と独り言のように歎息のようにつぶやく。
「確かに預かっていると、端書の一枚も下さるといいのに」
と老人は埃をかぶった紙包みを部屋一杯に拡げながら独り言をくりかえし、仏壇の中を見入っている。

老婆は毛布をたたむと、それを持って中へ入り、仏壇を眺めながら坐った。
「あんな優しい子はないでのう」と老婆は思い出したように医者の顔に、皺の多い、臭い口を近づけて云った。仏壇の中には、上等兵の肩章をつけ、兵隊帽を被った丸い童顔の額が懸けてあった。もうとうに戦死してしまった長男の写真だ。
「ええもの、悪いもの、見る人が見りゃ解るでのう」老人はつぶやいた。長男ほどの「ええ人はない」と二人は思っているらしい。しかもその長男がソビエットで、ちゃあんと、生きている、と彼等老夫婦は思っているのだ。そして、老人が「ええもの、わるいもの、見る人が見れば解る」と結論したのも、その長男のことを云っているのだ。
「あちらでも、そりゃあ、大事にされているに違いない」老婆は、戦死した長男のことを思い浮かべて、溜息をつきながら云って、
「どこの国だって人間の眼に変りはないさ」と老人は又医者の顔を眺めた。この百姓の老人たちは自分の『いい息子』をソ連政府も見抜いている、さずがだ、という意味なのである。
「誰だって、ええものは、手放したくはないわさのう」と老婆は、右手を後ろへ廻して、トントンと腰を叩いている老人を見ながら云って「端書一本、下されば、年寄りは安心するにのう」とつけ加えた。



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