2015年2月17日
スターリンへの端書(4)荻野彰久 荻野鐵人
西の嶺線の継線に載っている赤い夕陽は、今にも、転げ落ちそうな日暮れどきだった。他に往診もあり、あまり暢気にばかりしていられない医者は、Yシャツの袖をあげて時計を見て、咳払いをしながら中へ入っていった。
「あら先生が!」と母親は云って立ち上り、病人の布団をなおして、鶴模様の銘仙の坐布団を医者へすすめた。
善蔵さんは立って、「わざ々々どうも」と医者に頭をさげ、「さ、さ、どうぞ」と坐布団を示した。
「この人が病人ですか」と医者は立ったまま、水色の絽に鯉模様の夏布団で顔を被って長くなっているのを見下しながら右傍へ坐った。
「鷹子、さあ々々そう泣かんと、先生によく診察して戴いて、ナ」と善蔵さんは云いながら、掴んでいる布団の端を、娘の軟かい手から離そうとした。娘は顔の被いをとろうとしない。
「さあ々々泣かんと、ナ。なあに、こんな病気が治らぬなどと云ったのは、そりゃお前、昔のことで、今じゃ善い薬がアメリカからドン々々入って来ると云うじゃないか、ナ。必ず治して戴いてやるで、ナ」と善蔵さんは娘をなだめすかすように云う。
しくしく肩をふるわせて泣いている娘は、まだ顔から布団を放そうとはしなかった。
医者は、これでは診察も出来ぬことなので、聴診器を握って手持ち無沙汰のまま(蚤はいないか)と、畳の縫目を見つめながら待っていた。
洗面器とタオルを縁先へ運んで来た母親は、娘の傍へ来て坐ると、
「さあ、早く涙を拭いて」と娘の所持品らしい色のハンカチを、胸から出して娘の布団の下で秘かに娘に握らせる。
母親が娘の顔から布団をはずし、寝巻を、臍まで下げたとき、ハッと医者は言葉を呑んだ。医者は、顔よりも躯で患者を憶えていることが多い。医者はこの娘を識っていたのである。父親は云った。
「この先生は、ナ、鷹子は存じ上げないだろうが、遠い所を、わざわざ来て戴いた大変有名なお医者さんなんだぞ」と善蔵さんは云って、立ち上った。ポケットから取り出したマッチをする音が後ろで聞こえた。娘も、医者の顔を見て驚いたかどうか、医者はその時の娘の表情は見なかった。
何喰わぬ顔で、医者は型通りの診察を済ますと、商売道具の鞄を提げて、縁先の手洗いの方へ歩いていった。