2015年2月19日
スターリンへの端書(6)荻野彰久 荻野鐵人
「いや、ヒガミじゃない、ヒズミだ。余所のうちに例をとらなくても、向うさまの、剣太郎君の家だって、豊かならば、伝染病だ引き取れなんて云やしないさ、それもこれも、多くは、貧困から来るヒズミさ」と善蔵さんは、溜息を大きく吐きながら云った。
「そうかしら、貧乏で倒れそうなら、余計に人情で支えなくちゃいけないと思いますけど」母親の鋭い語気は、善蔵さんの顔をこちらへ向けさした。
「人情、人情、と云うけど、それとて、人間、やっぱり、衣食足りてこそだ、国家と国家の戦争でも、お前、貧困のヒズミからじゃないか、金持喧嘩せずと云うじゃないか、ナ」 「戦争と娘の離縁と、何の関係があるんでしょう?ほんと!」
「あっはははは、俺だって、戦争原理が、貧困のヒズミとばかり云っていやしない、例えばの話だ、金がありあまるほどあれは、肉だ魚だと動物質の、うまいものでもちと食べて、女でもつくってさ、あっはははは、戦争しやしないさ」
「さあさあ先生、どうも、どうも」と善蔵さんに云われるまでもなく、医者は、いつ、どこの空気を破って逃げ出すか、潮時をねらってもじもじしていたのであった。
「お父さんは、そんな暢気で、よくもまア、村の役が勤まることでございます」と母親の口は歪んだ。
「村の役と云っても、使い走りの小使い同然だ。でも、村も大事だからナ、それに、娘の治療費で俺が倒れりゃ、そりゃお前、村だって何とか相談にゃ、乗って呉れるわさ、お前みたいにそう先の先まで、心配しなくても、」と善蔵さんは、妻に向っていうと、今度は医者の方に顔を向け、
「それに、医は仁術と云うじゃないか、ね、先生」と善蔵さんは笑った。
『医は仁術』と患者側の方から云い出したときには損をするのは、いつも医者側であることなので、医者は、用心しなければいけないぞと思った。
病人のいる部屋を起った医者は、老人夫婦の離れを覗き込んだが、仏壇の前の老婆の後姿だけが見えた。
「あの娘!」と医者は、鷹子のことを、両親に黙っていたことに、何か陰謀でも働いたようで、隠居部屋で兵隊の写真のほこりを払いながら、見入っている老夫婦の横顔を眺めながら、いま診察したばかりの鷹子と、自分との、めぐりあいを考えはじめた。――
――いつか医者は、漁師町の浜田村を往診していたことがあった。月もない春の夜で空気も快かった。そのとぎ医者は既に患者を一人済ませ、湿った浜の匂いと、遠くの波の音を聴きながら、細い露路を歩いて来ると、背後から医者の上衣の裾を掴んでひくものがあった。振り返って見ると、若い娘である。
「何か?」と医者は、廻れ右して訊ねると、娘は恥ずかしいのか、蔓バラの垣根に身を隠すようにした。変に思って医者は「何か」とまた訊ねてみるのであったが、娘は医者の名を識っていた。不気味に感じながら、医者は近づいていった。