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2015年2月20日

スターリンへの端書(7)荻野彰久 荻野鐵人

「夜の女」という代名詞がこんな田舎にも浸透して来ていた頃なので、医者の内部に好奇猟奇いずれも、蠢動(しゅんどう)していたことは勿論であるが、娘は、更に小さい声で、顔を突き出すようにしながら「――先生ですね」と念を押した。そうだと答えると、娘は、「おっかさんが直ぐに来ますから、もつと近寄って隠れて下さいませんか」と云う、(自分がそんなに若く見えるのか)と医者は、警戒心と好奇心を味わいながら、娘と竝んで茂みに身を隠し、凝っとしていた。果せるかな、五分もすると、顔相は判然とわからないのであったが、母親らしい中年女が、風呂の帰りらしく、洗面道具などを、かかえたまま、右の曲り角から現われて来た。
チクチク辣に背中を刺されながら、茂み深く体を倒す医者は、緊張のあまり、妙にふるえていた。
やがて、娘と医者が、竝んでいる彼らの前を、母親らしい女が、何かブツブツ云いながら、通り過ぎていく。敵が去った開放感で医者までほっとした。
「あなたは、浜のひと?」医者は横の女に訊ねるのであったが、女は答えず黙っている。
「私に何か用なのかね?」医者は、女に強く云い始めた自分の言葉の順が、終りになるに従って、弱くなるのを感じた。
「わたし、怖ろしくって」と女は云って、黙ってしまう。
言葉の音声から推測すると、女は十七、八の娘らしいと思われたが、いずれにしても、街燈のない田舎の狭い露路であるうえに、男女のもたれて竝んでいる蔓バラの垣根の、溝を隔てて向う岸は、竹籔とあっては、更に蔭深く、娘の顔形も表情も見当がつかなかった。それだけに医者の想像だけが空廻りする。
「で、僕に用なの?」と医者は、だん~、優しくなっていく声で、娘の顔形を覗くように訊ねる。彼女はうつむいて黙ったまま立っている、-…医者として、或は、男性として、自分がするであろう様々なことを、想像した。彼女の蓋恥心が、彼女の心臓機能を異常にまで亢進させ、言葉が出ないのだろうかと医者は、勝手な空想もしてみるのだったが、間もなく、娘は、用事がある意味を、
「はい」と答えた。



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