2015年2月23日
akira's view 入山映ブログ アカウンタビリティ(2)
市民社会組織(解り易くいえばNGOとかNPO)は、その行動が善意に出たものであれ、思わぬマイナスの影響を他に与えることがある。「思い込み」が実は必ずしも正しくなくて、別の見方があり得るということに気づかなかった場合などは典型的だが、何が正しいか正しくないかを一方的に決めてかかってよいのか、という話にもなる。昔から「善かれと思ったことが仇になる」というのは、そんなに珍しい現象ではない。神ならぬ身の、犯し得る過ちを最大限防ぐ工夫について、二通りの可能性を示した。
予め自分たちの行動についての異論や反対が耳に入るような仕組みを考えておく、というのが一つで、いま一つは自分たちの行動を振り返って、その意義や影響について極力客観的な「評価」を試み、その結果を公表する方法だ、と指摘した。このうち後者は「言うは易しく、行うは難い」典型例を提供する。自分で自分の行動を評価するのにどうやって客観性を保証するんだ、といえばもっと解り易いだろうか。第三者に評価をしてもらう、というのは誰でも考えつくが、その第三者を選ぶのも自分だ、とすれば問題の所在は明らかなうえに、人様に何かをお願いすれば当然費用もかかる、そんな余裕はないよ、と言うケースも少なくなかろう。永く市民社会組織を悩ませてきたこの問題に新しい可能性が見えてきた。他でもないIT技術の普及だ。
インターネット上に情報を公開(堅苦しく言うと「電磁的方法による情報開示」)して、広くコメントを求める手法がそれだ。無責任な書き込みや、悪意を持った「攻撃」を避けるためには、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などによる発言者に一定の責任を課する試みを付加することも考えられてよい。新しい時代には新しいアカウンタビリティ確保の手法が可能になった、といっても良いだろう。設立・解散・参加・脱退が自由で、お互いに正反対な主張(幹細胞の医学利用賛成・反対)をする組織の併存も可能、というしなやかなありようが持ち前の市民社会組織であってみれば、こうした「自制」のメカニズムを「自発的に」用意しておくことはとても大事だと思う。オカミによる統制とか規制が頭をもたげる前に、用心が肝要だ、という意味においても、である。
2009年 04月 09日