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2015年2月24日

スターリンへの端書(9)荻野彰久 荻野鐵人

三日おいて、二度目に、鷹子の診察に行つたとき、
「きょうは暑かったですね」と医者は離れの老人に言葉をかけた。
「あ、一昨日の先生サンだのう」と老人は医者の顔を調べるように見入ったのち、
「お婆さんや、お婆さんや、鷹子の先生サンに麦の冷たいのを一つ」と口を尖らせて、涼み台の埃をプウプウ吹きながら云った。
医者は、冷たいどんな「麦」を食べなければならぬのかと、心配しながら立っていると、老婆は薄暗い勝手から、二、三カ所縁の欠けた湯呑みを、彼の前へ置いて、腰を曲げ曲げ井戸の方へ歩いていった。――と、その時、黒い大型蝿が一匹湯呑の欠けた個所へ飛来して来て、翅を拡げて停った。そのうちに老婆が、ツルベ井戸の底から、煤けた薬罐を持参して、なみなみと麦茶を注いだ。すすめられたが、「この蝿をどうする?」と医者の奥では第二の心配が蠢くのであった。
あきらめて、医者は立った。
「鷹子は、ちとええかのう」と老人は、医者の頬へ口を近づけて来て訊ねた。老人は、自分は昔、村の庄屋のこの家へ養子に来たことを云って、
「鷹子はいつ国立病院に連れていってくれるかのう?」と不安げに云った。

翌日、医者が、鷹子への最後の診察にいったとき、老婆が、彼に特に話があるといって、村はずれまでついて来た。
後からついて来ていた老婆は、突然、医者の袖を引いて、医者を向き直らせ、チリ紙で包んだバラ銭を、彼のポケットにねじ込みながら、ソ連の総理大臣スターリンさんに、端書を出して、確かに生存して「いる筈」の、長男総一の安否を訊ねてみてくれ、と医者に偽りの約束をさせてしまうのであった。



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