2015年2月26日
akira's view 入山映ブログ オバマ大統領のプラハ演説(2)
前稿「オバマ大統領のプラハ演説」について、文中一カ所でオバマ大統領(とケネディ大統領)をそれぞれオバマ、ケネディと呼び捨てにしているのは非礼ではないか、とのご指摘を受けた。そこまで目配りをして頂いている読者を持ったこのブログは幸せだという他はない。謹んで訂正させて頂いた。ちなみにシーザーというのは、問題ないだろうか。たしかに、文中に麻生総理のことを麻生呼ばわりはないだろう。気をつけます。
ところで例の北朝鮮非難の安保理議長声明をめぐっては、日本各紙の論調にやや揶揄的な論調が目立つ。安保理決議を求めた日本に対して、中・ロが反対。たのみの米国にも背を向けられて(外交的に孤立した日本はやむなく)議長声明に留まった。これを評価する麻生総理や国連大使のコメントはひかれ者の小唄とはいわないまでも、負け惜しみっぽいといわぬばかりである。しかし、今回北朝鮮が違反したとして非難された安保理決議1718は「北朝鮮に対し、いかなる核実験又は弾道ミサイルの発射もこれ以上実施しないことを要求する。」という内容を含む。これについても前記オバマ大統領のプラハ演説は「北朝鮮が長距離ミサイルとして使用可能なロケット試験を行ったことは再度にわたる規則違反であり」「規則は遵守されるべきであり、違反は罰されねばならぬ」と明言している。外交というのは相手のある話であり、こちらの言い分が百パーセント通るものでもないことを考慮すれば、過度に揶揄的、自虐的な論調はどんなものだろう。
ちなみに決議1718は「北朝鮮が無条件で六者会合に復帰することを拒否してきたことを更に遺憾とし」ている。断固として六者会議からは抜けた、と今回の決議に対して北朝鮮が反応したのは「またかい」という観なきにしもあらずだが、経済制裁が将軍様ご一家や指導層に対しては何の効果もないというにおいては、そのあたりをピンポイントした実効ある制裁措置をひそかに考える必要があるのではないか。それとも、痩せ細った将軍様を仰ぎ見て涙が止まらなかった人々には、一蓮托生をしていただくしかないのだろうか。そんなコンテキストで読むと、プラハ演説の核廃絶はとても米国に背を向けられているということではないように感じられる。議長声明で北朝鮮の違反行為がviolation なのかcontraventionかという詮索ももちろん大事なことではあろうが、道義的に優位な地歩(upperhand)を保つ外交姿勢こそが望まれるように思う。
オバマ大統領が演説の中で「核兵器を使用したことのある唯一の国として」の米国の責務を語るのならば、同じ重さを持った「唯一の被爆国」という事実はもっと国際政治裡において重要視されるべきだろう。そしてそれこそが日本外交の基本でなくてはなるまい。妙に訳知りになったり、オトナの議論したがるのは決して悪いことばかりではないが、理念と道義のない国が世界から尊敬される筈もない。いかに経済大国であっても、である。いや、ちょっと肩に力が入った。
2009年 04月 14日