2015年2月26日
サーカスの親方(1)-1荻野彰久 荻野鐵人
医長の使いで、教授室まで行っての還りであった。病院の長い廊下で不図すれちがった中村が、
「ドンフアン、どうした?」と、ぼくの脇腹をつつきながら云う。
「ドンフアン?」とぼくが立ち停ると中村は、「お前の友達の佐々木のことだよ」と、ぼくの肩を叩き、笑って去った。
ぼくたち二人の顔を見比べた看護婦たちは何が可笑しいのか口に手を当てて廊下を走っていく。
科の異なる佐々木の色漁り趣味など、喋るならばぼくだということになるが、ぼくは佐々木のそんな下品な趣味など真面目な顔で喋って歩く暇もない。だから、中村が突然、佐々木の女趣味のことを、ぼくに訊ねても、返答が出来なかったのである。
その後の佐々木の種々な行状を聞かされるにつけ、ぼくも佐々木には不快を感じた。が、ぼくだけの友である佐々木が、中村に許嫁があることを知ってか知らいでか、ぼくに、その中村を紹介しろと、しつこく云ったことがある。
或るとき、正門前の、レインボウという喫茶店に入っていったとき、佐々木が奥の隅で、女の子の運んで来た熱いコーヒーを、ニヤリニヤリしながら飲んでいた。
「これ、将来、文学志望の佐々木」とぼくは佐々木を指さして中村に云い、
「これ、インターン学生で将来、ぼくと同じく外科志望の中村」と中村のことを佐々木に紹介した。
が、その後どうしてそんなことになったのか中村は佐々木を故意に避けているふうだった。佐々木の行状を識れば識るほど、他人にいやなことが言えないたちの中村にしては、それが最大の抗議なのだろう。
二人の間に何かあるナ、とぼくは考えた。