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2015年3月4日

サーカスの親方(1)-5荻野彰久 荻野鐵人

その佐々木が、夜も更けて十時頃、つまり純子が許嫁の中村の部屋へ入る一時間ほど前、中村の下宿を訪ねたそうな。往来から見上げる二階の中村の部屋は早や灯が消えて暗くなっている。(いやに早く寝やがったナ)と佐々木は思いなながら、往来から「中村!中村!」と二度三度呼んで見た。呼んでも返事がない。乾いた下駄の音をさせながら、裏の木戸口から二階へ上り、中村の部屋を開けてみた。真暗かった。這入って天井から下がっている電灯を捻って明りを点けて見た。万年床の中村の布団は、中程が少しふくれ上っていて、なかが空なっている。中村は出ていったばかりらしく、布団のなかに温もりが籠っている。佐々木は不図、芝居気を思い付いた。中村が還ったら、脅してやろうと、一度点けた電灯を捻って消し、中村の布団のなかへ潜り込んで顔を被った。が十分経っても二十分経っても中村は還って来ない。実は中村を誘って蕎麦でも喰いに行こうと来てみたのだったが、こんなにいつまでも中村が還って来なければ、そのうち蕎麦屋も看板になろう。食物のことを考えると、空っぽになった胃袋が急にキュウキュウ鳴り出した。痺れを切らした佐々木は、もう還ろうと、布団から首を出した。と、そこへ廊下から、近づく足音が聴えた。素早く佐々木はまた布団のなかへ深く潜り込んだ。息をつめてじっとしていた。
ところが、部屋のなかへ這入って来たのは、友中村ではなく、女だったと佐々木はいうのである。部屋に這入って来た彼女は慣れているのか、灯を点けようともせず、布団の傍へ来て坐ると、洋服を脱ぎながら、小さな声で、「もうお休みになったの」と云った。中村ならぬ佐々木は息を殺し、そのまま動かないで黙っていた。六畳の部屋のなかは真っ暗だ。女は、布団の枕もとへ、口を近づけて来て、「意地悪!どうして御返事なさらないの」と、佐々木の脇の下へ、手を入れた。彼女と中村は、いつもくすぐる動作をするのか、彼女の両手の指が佐々木の脇の下で動く。笑うまいと佐々木は歯を喰いしばった。「きのうのことまだ怒っていらっしゃるの?」と、女はいきなり口を寄せて来た――と佐々木が云っているのだから、真実性は稀薄ではあるが、いずれにしても佐々木が良心の破片でも持ち合わせている人間ならば、ばれたとき、うふふと素直に笑って、事の次第を明かすか、それとも友の許嫁に恥をかかせたくないと思ったならば、純子がたとい唇を寄せて来ても、人違いですからと、自分の方から手の甲を間に挟んで断るか、そのどっちかを選ばなければ嘘である。ところがそこが図々しく出来ている佐々木である。闇に乗じて恋人になり澄まし、純子を愛してしまった。



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