2015年3月6日
サーカスの親方(1)-7荻野彰久 荻野鐵人
「乗れ々々。構やしないよ」祖母に当てつけがましく、ぼくは肩を押して、妻を車の中に乗せてしまった。そのときのぼくの内部に燃えた衝動では、たとい運転を誤って事故死しようとも妻と一緒に乗っていきたい剣幕であったにちがいなかった。
が、どこでそれを見ていたのか、祖母は血相を変えて走って来た。
「なあんです!運転を習って未だ何日も経たないというのに!そんな危ない!」と、祖母は立ち停って、ぼくを睨みつけた。
妻は具合悪い表情で、俯向いたまま車から下りていった。
祖母はまだ、ぼくを睨んだまま立っている。
「アナタは病院でもそんな危ないことを平気でするんですか!他人の命だと思って!まだインターン学生だというのに!」祖母は真顔で怒り出し、妻の手を取って門から中へ入っていってしまう。
一人前の医者になったつもりのぼくは祖母の、毒を含んだようなそんなもの云いに不快で堪らなかった。ぼくの医者としての行動を危なっかしいと非難するのは仕方がない。でも、あれほど一緒に行きたがっている妻を許そうとはしない祖母の専制に、ぼくの腹のなかは沸騰点に達した何か液体性のものが、ぐらぐら煮えたぎっていた。
そのまま、運転台に坐っていたぼくは、遠くからフルスピードで走って来て、門に自動車ごと叩きつけてやりたかった。ぼくはハンドルを硬く握った。わざとらしい微笑を頬に現わしながら妻が出て来た。自動車の傍に立つと、
「お一人で、いらっしゃいましよ」と云う妻の音声の底の、口に指を銜えた感じが、ぼくを駈って祖母への反抗をかき立てた。そうした妻に対する同情の量は、同じ量だけ祖母への憎しみと変った。
「お前はどうする?」
「だって、お婆さまが」妻の眼には殆んど涙が滲んで見える。
「乗れ!」
「だって」妻はぼくから顔を背けた。――とそのとき「きーよーか!きーよーか!」祖母の妻を呼ぶ声がした。腰を曲げた祖母が杖にすがって、走って来る。
カッとなったぼくはプップーと自暴(やけ)にクラクションを鳴らし、アクセルを一杯踏んで、走り出していった……。