2015年3月9日
サーカスの親方(2)-1荻野彰久 荻野鐵人
ところが馬鹿な話があるもので、ぼくは自動車事故で死んだことになった。箱根の谷底に転落し、アッという間に自動車ぐるみ、ぼくが燃えてしまったというのである。ぼくはこの通り、生きて還ったのだから、それは勿論人違いの誤報だと直ぐ知れたが、ぼくは富士へ行く最初の予定を変更して軽井沢の方へ行ったのだから人違いも甚だしいものだった。
翌日の夜、自家へ辿りつくと、ぼくの葬式が始まっている。何故、夜葬にするのか、迷信家でワンマンの祖母なら、やりかねないことだと思った。友引、仏滅、三隣亡と悪日が
重なり、黒焦げの死体のまま、いつまでも放っては置けないと、祖母の主張が通ってそうなったのだそうだ。
ドライブ倶楽部へ自動車を返しに、上野へ着いたとき、ぼくはそのことを既に聴いて還ったので、眼の前に自分の葬式を見ても、さほど愕きもしなかったけれども、さんざん人騒がせをしただけに、ぼくのいっている外科の教授や、医長や仲間の医局員、その他看護婦たちが、還ろうとがやがやと門から出て来るところと向き合って、中へは入り兼ねて、北の門から西の塀へ身を隠し、しばらく佇(たたず)んでいた。――とぼくのところから五、六間離れたところで、やはりぼくのうちの塀越しに、家のなかを、ちらちら覗き込みながら、二人の青年が、庭から露路へ伸び出している木の枝を、手折りながら死んだぼくに同情して立っている。
「あまり突然なんで、気の毒とも可哀想とも……どうして又、こんなことになったんだろ」と一人の男が云う。
「君ツンボですか、自動車故だと云っていたじゃないですか」
「いいえ、そうはぼくも聞いたんですけどさ、・・・・いかんナ、怒って自動車を運転しちゃア」
この二人の青年は、酔っ払いらしかった。
他人の葬式を眺める旅人のように、ぼくは低い塀越しにうちの中を覗いていた。