2015年3月11日
サーカスの親方(2)-3荻野彰久 荻野鐵人
ぼくはこの二人の酔っ払いの馬鹿馬鹿しい会話など聞いてはいられなかった。うちのなかへ入っていった妻と祖母のしょんぼりしている二人の姿を思い浮かべていた。坐ると居眠りをはじめる祖母、もう寝たかどうか、想像も出来なかったが、妻の実家から来た父母に、妻はいまごろ何と決心をさせられているのだろう?
それから、ぼくは自分のことも考えてみた――咋日まで生きていた自分が、実際に、あのように、死んだとしたら、どうだろう、黒焦げになったその男が、真実にぼくだったら、どうだろうと考えて来ると、いま生きていると思ってここに立っているぼくは、果して実存なのだろうか、それとも自分だけそう思っている仮像なのだろうか?ぼくは不図一種奇妙な錯覚に捉われはじめていた。
ところが、そこに立って議論をしているのが、例の女(おんな)誑(たら)しの佐々木であるのを識って、ぼくは現実の感を深めた。しかもぼくの妻のことを「勿体ない、勿体ない」と云っていたのが女誑しの佐々木だったのである。二人とも、ぼくの「葬式」に来ての還りらしかった。
ぼくの葬式に、佐々木の突然な出現にも、ぼくは驚かなかったが、佐々木が口論している相手が幸島だと知って、ぼくはドキリとした。佐々木――幸島、この二人の接近に対するぼくの杷憂である。(佐々木の奴、幸島の細君が美人だということを一体、どこで嗅ぎつけたんだろう?蜜に集まる蟻め!) とぼくの胸に不安がめばえた。中村の例を思い出したからであった。