2015年3月12日
サーカスの親方(2)-4荻野彰久 荻野鐵人
幸島の細君が虫垂炎で附属病院に入って来たとき、ギリシャ的な顔形だとか、彫刻的な鼻だとかで看護婦たちや医局員たちが騒いでいたが、そんな審美眼はぼくにはなかったけれども、肉附きのいい、色の白い、成熟した幸島の細君は見苦しい方ではなかった。ただ彼女はアルコールを飲むらしく、いつか幸島の誕生日に招ばれていったとき、コップに黒ビールをついでくれる彼女を見て、幸島は笑いながら「正子さんもどう?」と自分の妻にさんまでつけてすすめていた。
「女が酒を呑む、悪いオクサンでしょう?」と幸島の細君はぼくの顔を見て云いながら、黒ビールを飲んでいた。
その幸島の細君を、佐々木は、ねらっているのだろうか?佐々木の素行を知っているだけに、ぼくは、不図不安に襲われた。
が、聞いていると、佐々木は、初対面である筈の幸島に、何か押しつけがましいことを云っている。その態度がいかにも、相手を馬鹿にしたような口を叩いている。何か幸島を軽蔑しているみたいだった。ぼくは、例の川端さんの佐々木評を思い出した。――相手に接近しようとすると――殊に相手のうちに娘ありと嗅ぎ出すと、――佐々木は故意に相手に侮辱をあびせて怒らせる。これが実は佐々木の陰謀で、侮辱されて怒らぬ人はない、ムッとこちらが怒り出すと、佐々木は突如、手の平を返すように謝って出る、しかもその謝り方が、普通の人の想像もつかぬほど、自分というものを下げてしまう。つまり、佐々木という人間は、本能を果すためには、知性や理性は勿論のこと、品位も正義心も良心も、惜しげもなく捨ててしまう。そういう人間だよ――と川端さんは公孫樹の影の下で云っていた。