2015年3月13日
akira's view 入山映ブログ 憲法9条
伊勢崎東外大教授が、朝日新聞紙上(5月2日)でソマリア沖への自衛官派遣は違憲であるとするインタビュー記事に登場している。「憲法9条は日本人にはもったいない」「最大の違憲」ソマリア沖への自衛隊派遣になぜ猛反対しない?とかなりセンセーショナルな見出しである。が、注意して読むと、彼の9条論は二段構えで、「世界益」を守るための自衛隊派遣(国連PKO・イラク・インド洋)と、「国益」すなわち今回のような日本関係船舶の護衛を一応区別する。もちろん両者とも違憲だが、まだ前者の方はともかく、後者の方は弁解無用だとする。もっとも、ルワンダのような「人を殺させないための平和介入」や軍事監視団への「丸腰の」自衛官派遣は望ましい、と認めてはいるのだが。
周知のように、教授は日本人としては希有の数多い紛争「現場」の経験者であり、空理空論に走らない、いわば足が地に着いた国際紛争に関する論客として尊敬を集めている。通常であれば支持を集め易い「邦人保護」のための派遣を斥け、「世界益」のためならばまだしも(明示の形で合憲とはしないものの)、とするのも教授ならではの独特の論法であるといってよいだろう。誰もが知っているように、歴史をひもとけば、邦人保護に名を藉りた出兵が侵略に連なった例は数多い。かなりなし崩しの形で憲法問題が実質的に(de facto)穴があいてしまい、オトナの物わかりの良い議論の前に「護憲」一筋の政党にさっぱり元気がない昨今、教授の発言は貴重なものであるといってよい。
これまでの自衛隊派遣は、一応単行法による特別措置、という形式をとる。その限りにおいては国会の審議もうけ、合法性の推定をうける民主的プロセスは経ている。しかし、いかんせん最高法規である憲法の規定に違背しているとすれば、そのようなお化粧(cosmetic work)にさしたる意義はないというべきであろう。ブログの限られた字数でこんな大問題に触れたというのは不見識のそしりを免れまいが、提起したかった問題点は二つだ。一つは、国際社会における治安維持という意味で、警察行動のような活動を明確に定義することが可能かどうか、という点だ。可能か、というのは技術的にそれを明確に定義できるか、という意味と、国連のお墨付でもあれば、といった他力本願ではなく、日本独自の判断として、自力でそれを規定するだけの能力がわが国にあるか、という意味と二つある。(さらに付言すれば、仮にそうした規定ができたとして、個別のケースがそれに該当するか否かは誰がどう判断するか、という問題もある。)二番目は、仮にそれが明定され、日本がそうした行動に参加することを国民が支持した場合であっても、なお憲法改正は必要だろうか、という点である。とかく正面切って議論されなくなった観のある憲法問題だが、伊勢崎教授の問題提起が大きな波を引き起こすことを期待したい。
2009年 05月 02日