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2015年3月26日

サーカスの親方(2)-14荻野彰久 荻野鐵人

しかし、佐々木を睨んでいる幸島の眼は冷やかに光っていた。すると佐々木は、
「うん、何もおっしゃらないと来たか」とニタリと笑い、
「おーい、理論芸術家!それはナ、サルトルやカミユのような大思想家が、悩み苦しんで来た大問題なんだぜ、それを、お前は、俺に教えようっていうのか」と佐々木は云った。堪えていた幸島は、自信のない声で、
「俺は本当のことを云っているんだ」と1オクターブも2オクターブも調子を下げて云った。
「本能?」と佐々木はわざとらしく大げさに叫んだ。
「そうだ、本能のことだ」と幸島は頷いた。
「人間が遺伝や環境で決定されるそれ以前の問題だ」幸島は云い続けた。「本能について誰も語ろうとしないのは、識らないからでなくて、ちゃんと識って居ながらも、自分の奥にある不潔なものを、吐き出さねばならぬからだと思うんだ『本能』に打ち勝てるのは真の自由と怖ろしい勇気が要るからなんだ、だがこの本能ほど人間関係を破壊するものはないと思うんだ、だから――」と幸島がそこまで云うと、突然、佐々木は嗤い出し、
「この偽善者め!この嘘つきめ!」と幸島の顔に、ペッと唾を吐かんばかり罵った。きっと幸島は佐々木を睨んだ。
「お前、本能本能とさっきからいやに教育的なことを云っているけど、お前の腹のなかを覗いてみろ、自分だって、腹のなかは、黒くドロドロしたものがあるじゃないか。ハハハハハ」と嗤ったかと思うと、
「結局、お前は偽善者さ!」と佐々木は云い放った。すると、突然、幸島は佐々木の胸倉を捉(つか)んだ。恐ろしい牽引力で、佐々木を無理に引きずって動き出した。
「俺は妻を―」こんな声が聴えた。「俺は本能を――」こんな声が続いた。
引きずられていく足音が、更にそれに続いた。



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