2015年3月30日
サーカスの親方(3)-2荻野彰久 荻野鐵人
本能ほど、人間を衝動にかりたてるものはない、このことは、さんざん女を困らせて来たこの俺が一番よく識っている。心臓でも突き刺され、あの沼池かこの竹藪の中にでも、放り込まれた日には、人家のないこのあたりではどうしようもない。佐々木はあたりを見廻わした。
佐々木は、事の一切を考えて見た―― (幸島は俺を『娘ばかり狙う狼だ』と罵っている。だが、女というものは、竈(かまど)の下でマッチを擦って、火をつけてやる男がなければ燃え出さないではないか。そのように女は始めから創られているのだ。知性は理性だ、カーテンの向側のサーカスの親方だと、幸島は屁理窟ばかり云っている。だが、種を播くべき女という畑を、男が捜すのを怠ったら、この地球上はどうなるのか、人類は絶え果てて、獣や鳥や蟻や虫で、うじゃうじゃするではないか。それから――) 佐々木は歩みをゆるめながら考える。――本能がどうの、人間の自由意志がどうのと幸島は云っている。だがこの本能あればこそ、種は永遠に継承されていくのではないか。「男は野心的で醜悪だ。それは本能の為なのだ」と幸島は云う。だが、女性が男性よりも野心的でないのは、それは女性が本能に対して受動的であるためではないか!幸島はみだらなセックスを嫌っているあまり、本能がどうの人間の尊厳がどうのと云い出したのかもしれぬ。だが、現代の社会機構は――…と、佐々木の思惟は飛躍する。――個人を単位として構成されていた古代の人間関係は跡かたもなく崩壊し去って、右を見ても左を見ても組織、組織、組織と、組織を単位として構成されている現代社会機構、そういう歯車から放っぽり出されてしまった個の人間は、皮膚と皮膚、――セックスで結びつく以外、孤独を癒やす泉は何処にあるのだ、だからこそセックスは、われわれをそれだけ陽気にしてくれるではないか!何が悪い!幸島は馬鹿なやつだ、時代感覚の欠如した阿呆だ、画家だといっていたが、こんな男のかく絵はどんな絵か知れたものさ、でもその細君だけは、まんざら白痴でもあるまい)幸島の細君を抱くことに、佐々木は俄かに興味が湧いて来た。
いつの間にか後ろになった佐々木は、また幸島の前になって歩いた。「逃げるか!」幸島の尖った声が云った。佐々木は歩いた。