2015年4月1日
サーカスの親方(3)-4荻野彰久 荻野鐵人
ここらからは埋立地なのか、じくじく足音もしなかった。靴の縫目から水が泌み込んで、靴の中で奇妙な音響をたてた。それが更に不気味に参加した。暫らく行くと乾いた道に出た。砂利が敷きつめられてあって、歩くと靴底の下で、剥いた鳥賊の背中を擦り合わせる音がし、それがあたりに反響した。
更に行くと、更に濃度の高い闇が見えた。森であった。森はトンネルになり、トンネルの向う側に光が見えた。闇の中に見える光に佐々木は親しみを感じた。近づいていくに従って、ひかりはまばらに散らばっていた。小さい市民住宅らしかった。離ればなれに点在していた。久しぶりに出会った人里に、佐々木の心は懐かしさと安堵に、不図誘い込まれた。森に入ると、それは矢張り神社で、それを通り抜けると、四棟ほどアパートが立ち並んでいた。
近づくに従って、それは木造の比較的新しいアパートである事が知れた。二階建てだった。幸島が立ち停った。佐々木は、淡い灯のひかりで幸島の表札を読んだ。ABCD四棟並んでいるB12号の前に幸島は立ち停っていた。佐々木はあたりを見まわした。アパートの建物と建物との間は、七、八間の空地になっていて、粗末ながら花壇が設けられ、アメリカなでしこ、くちなし、ゼラニウム、マーガレット、バラ、カンナ、せんにちそう、ガーベラ等のありふれた季節の花が、夜露を受けて、うなだれているのが門燈の光をかすかに受けていた。
「うん、これで君の家は覚えたから、又、昼、遊びに来るよ」佐々木は、幸島の顔を見上げて云った。と、いきなり幸島は佐々木の胸倉を掴むと声を殺して云った。自分が先に家の中に入り、二階へ上る間の時間――十五分たったら、入って来て、自分の妻を抱けというのである。(オヤ!) と佐々木は思い、ニヤリと笑ったが、「嘘つけ」と幸島の手を振り払ってみた。佐々木は信じない振りを装った。(それに、もともと、この話は、酒の上での意見であり、酔っ払っての議論なのだ。こんなにまでムキになる幸島は、融通のきかない一本気のいかにも幼稚で馬鹿な人間だ) 佐々木には、扉の握りに手をあて入っていこうとする幸島の後姿が、いかにも間抜けて見えた。佐々木は股を半開きに、両手を臍の下で組んで立っていた。