2015年4月6日
サーカスの親方(4)-2荻野彰久 荻野鐵人
口ざわりのよさにつられて又コップの底に白砂糖を三匙入れ、ラム酒をついで上からサイダーを注いだ。細かい泡が躍るようにコップの中で飛んだ。匙で更に二、三回かきまぜると、眼をつむって飲んだ。爽やかな味が舌先に拡がった。五分たち、十分すると、盛り上った乳房の下で心臓がドキンドキンと鳴った。冷蔵庫の蓋を忘れなかったかしらと、起って歩こうとした。細い針金が屋上のアンテナを四方八方から引っ張るように、立っている正子の躰は、四方へ曳かれていく感じがする。<わたしっていけないわね、還って来たら叱られるかも知れないわ>と手の平で頬を冷やした。冷蔵庫の蓋は、やはり開いていた。寝ようとしたのではないが、卓袱台の隅に両肘をのせその上に額を押しあてて暫らく眼をつぶった。が、心臓の動悸ばかり激しく眠れない。起きた。いびきをかく幸島の傍で正子は時々眠れない時があって、そんな時は医者の叔父に勧められて、ベナドリンを三錠飲むことがある。それでも眠れないときはブロバリンを飲む。このときも起きてブロバリンを一錠とベナドリンを三錠呑み、もう十分だけ待ちましょうと、正子は卓袱台の前に坐りながら、顔を上げた。眼がぼうっと霞んで来た。壁に懸った犬の絵が眼にとまった。流れる川岸で、オス犬がメス犬の腰を抱え込むようにしながら、上に乗っている絵で、眼を細めて首をきゅっと縮めているメス犬の方が、よく画けていると思った。色彩もよかつた。オスメス、この二匹の犬は、誰憚るところのない自由な野良犬たちと正子は思ったが、注意してよく観ないと見えない細く長い鎖がついていて、犬の首環から発しているその細長い鎖に視線を辿っていくと、川の向う岸に一人の人間が立っていて、鎖の一方の端をしっかり握っている。大方仔犬が欲しくて犬に交尾をさせているのだろうが、幸島はこの絵の題を『交尾をさせている主人』と書き、それを消し、『大自然』と書いて、それもバツにし、その隣に『神の目的』と書き入れてあった。向う岸で犬の首紐を握っている人間が何故『神』なのか? そして『神の目的』とは何の意味なのか? 正子にはよく解らなかったけれども、四脚を地面に踏ん張ったまま、雄に尻を預けて凝っとしているメスの絵が、実にリアルに描かれてあって(下腹から突き出ている赤い錐のようなものには、嫌らしさが感じられたけれど)肋骨一本一本を波立たせ、口から糸を引いている白く粘っこい涎までが、いかにも実感をもって迫って来るものがあった。絵は犬のそれであっても、見る人の内部には、底から強烈な性慾を、かき立てるものを感じさせた。眺めているうちに正子は、夫が立派な芸術家だと、不意に尊敬の念も湧くのだったが、見ていて何かしら、ヘンな気持にもなるのだった。ああ、と正子は髪の毛の中へ指先を入れて掻き、夫の還(かえ)らぬのをもどかしく感じた。