2015年4月8日
akira's view 入山映ブログ 世襲議員
次回選挙からだ、いや次々回だ。そもそも制限するのは憲法違反だ、いや政治の家業化はおかしい、と喧々諤々の議論のあった世襲議員問題だが、8月ともいや任期満了の9月だとも囁かれている次期選挙には、取りあえず小泉首相のご令息は自民党公認で出馬ということで落ち着いたようだ。
先にも書いた(4.27「二世議員」)ように、世襲を禁止するとすれば政党内部の申し合わせ以外に方法はないと思う。ということは、その方針を打ち出すことが国民にアピールすると考えるか、世論におもねらずとも、それは選挙民が判断することだ、とクールに割り切るかの議論のように思われなくもない。明らかに自民党の菅義偉氏や民主党の多くの人々は、政治理念の問題というよりは、停滞した政治状況(低い投票率はその典型例だ)に風穴をあける上で、これが有効な手段だと考えているのだろう。まあ、民主党には自党の受けるダメージがより少ない、という打算もあるかもしれないが、それはそれだ。
私有財産制度の下では、相続税や所得税のハードルはあるにもせよ、親子相伝の有利な枠組み設定は認められている。だからといって新たな起業家の輩出を望むならイコールフッティングで財産相続を禁ずるべきだということにはなるまい。政治の世界でだけなぜそれが声高に唱えられるか、というと、既得権益と利権構造に絡めとられたかに見える日本の政治状況をなんとかしなくてはならない、という問題意識が確固として底流に存在しているからに他ならない。世襲を禁じてみて、そういうわが党の姿勢が国民に受けるかどうか、というよりは、それによって導入されるであろう新しい血が、停滞した政治状況に変革をもたらすのではないか、という期待感、あるいは現状に対する危機感によるのでなければ、世襲問題などというのはたいした問題ではない。その意味では公募制による候補者選びについての議論がほとんど表面化していないのはいぶかしく感じられる。
もちろん二者択一、あれかこれか、という種類の話ではない。再度このブログで述べている官僚制の問題もある。市民社会の存在感の希薄さの問題もある。数え上げれば無数に存在するかに見える問題点の中から、できること、可能性のあることは全て試みてみよう、ということでなくてはならない。これさえ実行されれば全て事なれり、という万能薬があるはずもないからだ。できることはバラマキと天下り組織の肥大化だけだ、というのでは国民たるもの立つ瀬がないではないか。
2009年 06月 02日