2015年4月8日
サーカスの親方(4)-4荻野彰久 荻野鐵人
電気が点いていた。こんなことはよくある。恐らく咋夜から、ずっと点けっ放しであったに違いない、と思われた。(勿体ない)と電気を消し、開いている窓から首を出して夜空を仰いだ。美しい星空だった。気候もよかった。湿り気を含んだ夜の匂いが、微かに、酔った正子の頬を撫でた。気持が好い、正子は、額に落ちてくる髪を掻きあげ、頬を掌で押えた。夫の還る方向を眺めた。辺りは原っぱだったが、遠くに人家が疎らに見えた。窓辺に電気がまたたく、家々の孤独な光りが、つながりあって、地上の星座を形づくっていた。夫の還って来る気配はなかった。窓を閉め雨戸をくった。もう一度電気をつけ、忘れ物を見廻す気持で部屋の辺りを見廻した。夫のテーブルの上には、週刊誌が開かれたままだった。椅子は向きがゆがんでいた。紐を引いて蛍光燈を消そうとすると、壁に懸っている額縁が眼についた。これは、背中にひどい鞭を受けている犬の絵で、幸島から説明を聞かして貰っていたので、正子は絵を見ているうちに、不図噴き出しそうになった。人通りの激しい往来の舗道上で、どうした訳か犬殺しが狂ったように、犬を擲(なぐ)っている。擲られても擲られても一旦重なり合ったオスメスの犬は、離れられないと見えて、一(ひと)鞭(むち)毎に眼をしょぼしょぼさせ、雨と降り注ぐ鞭を背中や首筋に受けながら、どうすることも出来ず、右に左に体を交わす。実に惨めな犬の「本能」という題の絵だった。
「どうだい、人生そのものをぴたっと象徴しているだろう?」幸島は正子を膝の上に抱き寄せながら冗談に云うと、
「あら、貴方の一人合点よ」と正子は笑った。