2015年4月9日
akira's view 入山映ブログ 選択
あなたの選挙区から自民党と民主党の候補が立候補している。一体あなたはどんな理由でどちらかの候補に投票するのだろうか。
一つは政策の違い、という話がある。現状かなり見えにくい話ではあるが、例えば自民党は収支バランスを回復するためには何年か後に消費税導入は既定路線だ、と主張し、民主党はとにかく無駄を省き、ぶったぎれる経費を削減してから後に考えれば良いことだ、という。あるいは世襲禁止に消極的か積極的か、という論点もあろう。しかく単純ならば苦労はないが、複数の政策相互間に、あなたの主張とは矛盾を来す場合もあるだろう。A・B二つの政策についてあなたは双方ともに賛成だが、両党がそれぞれ片方だけに賛成だ、というような場合だ。プライオリティが高いのはどちらかという苦渋の(!)選択をせまられることになる、
次に「なんとはなく」というのもある。無責任というなかれ、これはこれで結構理由がない訳ではないのだ。候補者の所属政党、略歴、表現力、風采(!)などなど。世に言う浮動票というのは、もしかするとこの部分が少なくないのかもしれない。まじめな政策議論の意味を減殺してしまう趣なしとしないが、直感というのはまんざら棄てたものではない、ということだ。これと似て非なるものに「これだけは選びたくない」というのがある。これも理詰めの動機ではないが、もう自民党には飽きた、とか、この候補者は世襲議員だとか。考えようによっては第一の政策選択との共通項が大きいかもしれないが、実情は「なんとはなく」にほぼ近い、ということでもあった。
これらと全く異なるのが、あなたがなんらかの帰属集団の一員で、その集団の選択に同調する場合だ。組織票と称されるのはこの場合に他ならない。帰属集団の特性が利害関係なのか、思想信条なのか、あるいは地縁血縁なのか。場合はさまざまだろうが「後援会」というのは一つの典型だと言って良いだろう。
そのどれでもない、というのが極めて低い投票率の示すところだろう。一方には、自分の投じる一票の重みなどしれたものだ、というシニシズムがあってみたり、あるいは政治そのものに関心がない、投票場に足を運ばない、まあ政治なんていうものはなるようにしかならないさ、という態度だろう。その限りでいえば日本人の大多数は、今日の政治のありようについて発言の資格はない、ということにもなる。ここで話を打ち切ったのでは余りにも生産性が低いし、かといって「投票に行こう」と呼びかけてみてもたいした結果は期待できまい。それよりも、日常の不満、あるいは改善の望まれることについて、それを代弁してくれそうなグループを身近に捜す。参加する。支援する。場合によっては仲間と結成する、といった動きが必要なのだろうと思う。それこそが世に「市民社会」といわれるものだし、それなくしては民主主義も社会に根付くことはない。放っておいても、それなりに世の中うまく行っている時ならいざ知らず。これほど諸事万端おかしくなってくると、これなくしては政官癒着から脱することなど夢のまた夢だろう。先の良く見える官僚が、公益法人制度改悪に見られるように必死になってこの動きの「芽」を摘もうとしているのも結構理由のあることだ、と思い当たる。
2009年 06月 05日