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2015年4月10日

サーカスの親方(5)-1荻野彰久 荻野鐵人

幸島の口が佐々木の耳もとへ近づいていた。佐々木がまごつかぬように、妻の寝ている部屋の鳥瞰図を説明して聞かせた。それによると、扉を開けると直ぐ右手が一畳ほどの勝手、幸島の道楽の焼物のクドで、それは金製の青酸加里を塗って焼くと、一種特殊な色が出ると云うので、彼は専門に画いている犬の絵に飽きると焼物をしていた。その向いに、今、妻の寝ていることや、妻の枕元には卓袱台があって、その上に金魚鉢と電気スタンドがあることや、それから、本来ならば二階六畳が自分たち夫婦の寝室であるが、近頃自分は二階をアトリエに使っている関係上、妻は下の六畳で寝ていることまで話した。その説明を聞いても、佐々木は沈黙を続けていた。幸島を信じないような、軽蔑したような表情が佐々木の吊り上った、閉じた唇に露われた。
「いいか」小さい声で幸島は佐々木の耳もとに云うと、自分から先に中へ入り、三十分経ったら、佐々木に入って来るように云った。佐々木はなお黙ったまま両手を臍の下で組み、全身の重力を左右にもたせ、両足を半開きにして、首を傾けて立っている。眼は斜めに幸島を見下ろしている。
「貴様、未だ疑っているね」と、幸島は一人ぷりぷり云って、妻は今夜飲んでいるから麻酔をかけられたように眠っている筈だから、絶対だとつけ加えた。これを聞いた佐々木の口はひきつった。(嘘つけ!)
なかへ入った幸島は静かに障子を開けた。妻の寝息が聞こえた。彼は膝を折り曲げ動物のように四つん這いになった。そうだ、(俺は動物に過ぎないのだ) 彼は自分に云い聞かせた。暫く凝(じ)っとしていた。コニャックの香りがした。妻と二人で飲んで出かけた自分を思い起した。(俺の還りが待ち切れず又飲んで寝たんだナ)と彼は思った。いつもの習慣だった。妻の寝ている傍へ掌をすべらし、膝を運んだ。妻の体が動いた。寝返りだ。彼は息を呑んだ。又、寝返りを打った。彼は凝っとした。妻の寝息が聞えた。



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