2015年5月13日
動物風景-11 荻野彰久 荻野鐵人
しばらくの時間が流れ去る間にも、スピッツ犬は前肢をかけていた金網から、降りようともせず、出されている餌の鉢へ近付こうともしなかった。
「何? 扉を開けて早く逃がしてくれというのかい? ええ?」
金網にしがみついているスピッツ犬に顔を近付けて老婆は云った。
「ダメ!ダメ!そんなことお前、できやしないよ」と老婆はしばらくスピッツ犬の顔を覗き込んだ後にまた言った。
「ええ? どうしてかってかい? だってわたしは、ここんちのお神さんじゃあないもの。ハハハハ、そうかい、そうかい、お前はわたしを、ここんちのお神さんだと思ったのだね。違うんだよオ」老婆は顔の前で手を横に振って見せた。
「わたしわね、雇(やと)い人、分るだろう。うん。日雇いなのだよ。だからあす朝六時にはお前が殺されると知りつつもどうしてやることもできないのだよ」と、老婆は云い、聾に云ってきかせるように更に大きい声で、
「ええ?」と左の耳を金網に近づけ訊ねるように言葉を続けた。
「それじゃ、あんたはどうしてこんなところで働いているのかってかい?」シワに囲まれた歯の抜けた口を切って笑い、
「わたしだって食わずには生きていかれないじゃないか! だれだってお前、愛して産んで、喰って寝て、戦争をして、それでちょん、じゃないか、お前たち犬には分らないだろうが、それが人生じゃないか! 思えば変なモンさね」 急ぎ用でも思い出したように老婆はぼくの孔から配膳を済ますとすばやく立ち去った。