2015年5月23日
akira's view 入山映ブログ 渡り
文科省は8月1日付けで、独立行政法人「日本学生支援機構」理事の矢野重則氏を「公立学校共済組合」の理事長にあてた。ちなみにこのポストは歴代文科省OBの指定ポストだという。この矢野氏なる人物は04年7月に退官。国立教育政策研究所長を07年3月まで勤め、4月から日本学生支援機構に着任したのだという。(朝日09.8.1朝刊34面)現在61歳の同氏は5年間の間に3度目の天下り、いわゆる「渡り」の典型例だ。それぞれの退職金額、それぞれの機関における給与などは明らかにされていないが、総計すれば1億や2億では済まないことだれは確かだ。そしてそれを誰のオカネで払ったかも同じように確かだ。下世話に人の退職金の推定をするのが本稿の目的ではなく、「天下り」問題がこれほど与野党を問わず大きなイシューとして取り上げられている最中に、「駆け込み」(同紙)を狙ったも同然なこの人事に垣間見える官僚の無節操さには、憮然たらざるを得ない、というのがテーマだ。
税金を「民の膏。民の脂」と認識する感覚がわづかなりとも残っていれば、少なくともこの時期だけは、「天下り」まして「渡り」廃止に向けて、積極的に動かないまでも、せめて頭を下げて風の通り過ぎるのを待つ、というくらいの平衡感覚は持てないものか。朝日に取り上げられたのはほんの一例で、霞ヶ関界隈では「ばれたやつは運が悪い」程度の感覚で日常茶飯の出来事として横行しているのではないかと想像する。一事が万事、というのも乱暴な議論だが、予算の執行を巡っての外郭団体の跳梁跋扈(具体的にいえば税金の盛大なムダ遣い)にはじまる「それゆけどんどん」ともいうべき愚行は一向に収まることを知らない。昔鳥島のアホウ鳥は、隣の鳥が撲殺されても(普通の鳥なら人間が近づいただけでも一目散に逃げるのに)平然として「わがことにあらず」と座り続け、結果絶滅の憂き目にあったとか。そうなるまでは飛び立つことさえしない、あるいはできないというのでは、わづかに残っていた日本官僚の優秀さ、廉直さに対する期待はもののみごとに崩れつつある。
予算主義、単年度主義、使い切り。予算を節約しても「不要額」として次年度予算カットの理由にこそなれ、評価の対象に等金輪際ならない。「何で使い切らなかったのだこのバカが」。そんな人々の手からわれわれの税金を取り返そう。絵空事ではない。官の手による直営の事業部門を全て民営に移すのだ。その利権にすり寄ってうまい汁を吸う連中もいるだろう。しかし、それには目をつぶろうではないか。賄賂の額は、それによって得る利益を上回ることはない。際限もなくザルから水が漏りている現状よりは多少はマシというものだ。「渡り鳥」矢野某の新しい職場は、この間まで日本育英会として知られていた奨学金支給機関だ。自民党を始め、各党のマニフェストに奨学金の増額と書いてあるからといって、結構な話だと浮かれてもいられない理由はもうお分かりだろう。ことはもちろん奨学金に限らない。
2009年 08月 01日