2015年6月12日
動物風景-33 荻野彰久 荻野鐵人
その小舎はトタン屋根が張ってあって、黒くコールタールを塗ってあるのだろう、屋根に積った雪が風に吹かれてところどころ黒が目立ち、見ようによってはあれが眼、あれが鼻、あれが口と云うふうに観念の中で、巨大な、悪意にみちた神の顔に見えた。
すると、葉のないポプラの鋭い小枝は、怒りに狂った頭髪に見えたから、全体として或る巨大な神が怒りに狂った怖ろしい姿をしているというふうに見えた。
小さい二人の男が犬をそこへ、つまりあとから知ったことだが、そこの処理所へ連れて行くのである。何をしに犬を連れて行くのだろう?
ぼくはもう一度、首を廻して彼等が出発した起点へ視線を戻した。生きている人々の生活している町だ。ああ、例の犬殺しの家の屋根が直ぐそこに見えていた。ぼくが飛び越えて来た板塀でそれと知れるのであった。
「処理所は裏にある」とあの気狂婆が云ったのと思い合せてみた。すると男が犬どもを連れていくところは「処理所」だ、ということが知れるのだった。何のタメに! 殺しに連れて行くのだ。
大変遠くに逃げて来たと思っているぼくは、犬殺しの家を中心に、わずかの距離の半径で画いた小さい円のなかの地形内しか歩かなかったことになるのだった。それにしても相手が犬殺しと知りつつもあの犬たちはそれを知らない、いや知らないからこそ楽しいのだと云わんばかりに嬉々としてついていくのだった。