2015年6月16日
akira's view 入山映ブログ 選挙(6)
ジェリー・カーチスのFCCJ講演を筆者なりに編集してみた第二回目。筆者の主観や解釈が入っているから、彼の真意とは異なっている可能性がある。間違っても彼の言説として引用しないでいただきたい。
さて政官癒着が何を生んだか。単一の基準を霞ヶ関が制定し(実態にお構いなく)それを全国に通用させる、というのが典型的な政策形成のパターンになる。先に自民党が現場のニーズが何であるかを感知する能力を喪失した、といったのはこのことだ。何でもかんでも中央省庁が定めた基準に従わせる。保育園の施設から道路の規格に至るまで、全てこの哲学が支配する。現場の自由な発想などというものは全く意にも介されない。そうでもなければ、なんで富裕層が老後をスペインで過ごす必要があるか。自分のニーズを満たしてくれる設備が(愚劣な規制のお陰で)日本にはないからだ。
結果として何が生まれたか。GDPの2倍に達する財政赤字であり、さらなる赤字財政を維持しようとすれば(国債)利率の上昇による他はない。こんな堂々巡りは、利益関係者以外誰も支持していないことさえ理解できなくなってしまっている、というのが事実だろう。とはいえ、新しく政権を担う民主党が、政官癒着をマニフェストに掲げているからといって、この問題に賢明に対処するという保証はどこにもない。何よりも規制撤廃に関する明確な指針を示していない、というのが懸念材料だ。マニフェストによるショッピングリストなどというのは、実は余り実現を期待するという対象ではなく、各論において誰が、何を実行しようとしているかが見えてこなくてはならない。政官癒着打破を謳うのならば、国家戦略局の設置や、政治家百人の霞ヶ関投入が大事なのではなく、民主党において、この分野を指揮するのが誰で、どこから手を付けるのかが具体的に示されることが肝要だろう。
ここから先は質疑に答えての同氏のコメントだが、記述の簡潔の為に質疑形式の表現はとらない。
鳩山氏のNYタイムスに紹介されたエッセイは米国ですこぶる評判が悪かった。野党時代の癖が抜けないのか、出来もしないことを言いたがった結果、主張に論理一貫性がまるで見られなかったことが主因だと思う。それはそれとして、鳩山氏は「挨拶のための」訪米などは考えない方が良い。確とした伝えたいメッセージのないままに表敬訪問などする必要もないし、日米関係はそんな軽いものではない。「対等の」日米関係などと軽々に口にすれば、日本はもっとコミットしてくれるんだね、と思われるのがオチだろう。
同様の論理の混濁は他にも見られる。例えば輸出依存から内需依存への脱却などというが、アジア市場を準内需と把握しないのなら、これはナンセンスだろう。一般論として言えば民主党は、何も期待されていない、という利点を十二分に生かすべきだろう。
ちなみに、合意形成型日本社会には小選挙区制度は向いているとは思われない。選挙の度ごとにこのところ示されたような極端なスイングが見られるようでは、国際情勢にとっても好ましいことではない。中選挙区への回帰が望まれる。そして、それまでの間に自民党がいかにしてこれまでに述べた自滅への呪縛から自由になっているか。それこそが日本の近未来を規定しよう。
2009年 09月 01日